ジャン・ドゥーシェの映画に泣く
フランスにジャン・ドゥーシェという映画評論家がいる。「フランスの蓮實重彦」という人もいるが、1929年生まれなので蓮實さんより上だ。文章も全く違う。ゴダールやトリュフォー、ロメールらと一緒に映画批評を始め、唯一評論家のままだった(いくつか短編はある)。
彼を撮ったドキュメンタリー「ジャン・ドゥーシェ、ある映画批評家の肖像」Jean Douchet l'enfant agiteをアンスティチュ・フランセ東京で見て、泣いた。今年から始まる「映画/批評月間」の初日の最初の上映。
監督は若い3人のフランス人で、彼のアパルトマンやシネマテークやボローニャで話を聞く。その合間に彼を知る監督のバーベット・シュローダー、アルノー・デプレシャン、グザヴィエ・ボーヴォア、ノエミ・ルヴォヴスキ、プロデューサーのサイド・ベン・サイドなどが語る。時おり過去の講演などの記録映像も加わる。
いくつかいい言葉がある。デプレシャンは、彼に「デ・パルマがいい」と言うとビデオを借りて行って、翌週「溝口はやめてデ・パルマをやろう」と言ったと言う。若者に耳を傾ける人だと語る。ルヴォヴスキは、ドゥーシェが映画について語ると、その登場人物が急に生きているように見えたと言う。
彼の話は多くの人々を魅了する。映画学校やシネマテークや映画館で話すこと、がいつの時代も若者を刺激する。私もその一人で、その後パリに行くたびに会い、日本にも山形ドキュメンタリー映画祭や溝口健二没後50年シンポに来てもらった。
おもしろかったのは、イタリアのボローニャで「おいしい料理を楽しまないと溝口はわからない」と言うところ。移りゆく人生が好きで、愛情や友情はわかるが「愛」はわからない。いつも一人で生きてきて、誰かと暮らそうとは思わない。「所有」が嫌いで、47年住むアパルトマンも賃貸。後悔することはないが、あえて言えばもっと映画を撮ってもよかったかも、才能はあると思うので。
彼は今も美食家だ。20代の半ばに出会って以来、あちこちのおいしい店に連れて行ってもらった。かつてはいつもご馳走になったが、この15年ほどは私が払っている。評論家でさえない私をなぜそんなに大事にしてくれたのだろう。とにかく私は映画よりも、人生を味わうことを教えてもらった。あるいは人生を楽しまないと映画はわからないことを。
最後にたぶん70歳の誕生日の映像が映る。ロメールもシャブロルもシュローダーもデプレシャンもみんながお祝いしていた。彼も今年で90歳。ボーヴォアは、じきにいなくなる日が来ると考えると気が重いと言っていた。
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