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2019年3月26日 (火)

『ブラック・クランズマン』に当惑しながらも

スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』を劇場で見た。カンヌのグランプリやアカデミー賞の脚本賞で喜ぶリー監督の姿が妙に記憶に残って、見たくなった。見てみると、こんなにメジャーな賞を取る作品にしてはずいぶん異色の作品だった。
彼の映画にはいつも黒人プロパガンダ的な要素が強いが、今回は映画のドラマ構造まで捻じ曲げて、言いたいことを伝えようとしているのに正直当惑した。それでもそこに映画らしいサスペンスは十分にあるのだけれど。
冒頭に『風と共に去りぬ』が写る。もちろんこれはアメリカの南部を美しく描いた名作だが、その南部が当時は奴隷制度を肯定していることは、日本では知られていない。スカーレット・オハラが「神よ、南部連合を救いたまえ」と叫ぶシーンを見せるのは、実はとんでもない皮肉。
次にスタンダード画面になって、ある男が「人種隔離を違憲とする最高裁判決は間違いだ」と主張し始める。たぶん1950年代のことだと思うが、その解説もない。そして男の後ろのスクリーンにグリフィスの『国民の創生』が写される。白い頭巾をかぶったKKK(クー・クラックス・クラン)たちが黒人に対して戦う有名な場面が写る。1915年に作られたこの映画は映画史的には映画の技法を確立した古典と知られるが、アメリカでは人種差別映画として公の場では上映ができないことも日本で知る人は少ない。
それからようやく本編が始まる。アフロ髪のロンが現れて、警察署の採用試験を受ける。なぜか採用されて差別にあっているうちに、黒人の集会への潜入捜査を命じられる。その後ひょんなことからKKKに電話して会いに行くことに。黒人のロンは行けないので、同僚のフリップ(アダム・ドライバー)がロンとして出かけ、人種差別運動に潜入する。
フリップがKKKの連中の信頼を得る過程が抜群におかしいし、ゴリゴリの差別主義者のフェリックスとその妻の言動は本当に怖い。KKKの会員たちが見る映画として『国民の創生』が再度出てくる。彼らは黒人学生運動の中心となるパトリスを殺害しようとするが、彼女が好きなロンはそれを必死で阻止する。このあたりは相当のサスペンスで十分に楽しめる。というよりかなり手に汗を握る。
そして最後に2017年の映像が出てくる。つまりコテコテのプロパガンダだ。そのうえ、考えてみたら中核の部分が1970年代というのも説明がない。ベトナム戦争の話など、わかる人にはわかるが。つまり、アメリカの歴史を知らないと、最初から最後までこの映画のよって立つところがわからないことになる。『風と共に去りぬ』や『国民の創生』の問題点なんて、アメリカ人でもインテリでないとわからないだろう。
映画の根幹部分は楽しめるように作り、その前後はすべて「勉強しなさい」と放り出した感じ。スパイク・リーだからできることだろう。

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