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2019年3月23日 (土)

「福沢一郎展」に震撼する

竹橋の東京国立近代美術館は、今世紀になってどんどん面白くなってきた気がする。特に国立新美術館が2007年にできてからは、マスコミ主導の大量動員の展覧会があちらに行き、東近美では渋い個展が増えた。5月26日まで開催の「福沢一郎展」もそうで、この画家の歩みの振幅の大きさに震撼した。
この画家は東近美の常設展示室で《Poisson d'avril 四月馬鹿》(1930)と《馬》(36)だけを何度も見ていた。《四月馬鹿》はシュールな発想だけが勝負のイラストみたいだが印象に残ったし、《馬》は描きかけのような妙な馬2匹と背景のピンクが気にはなっていた。
ところが今回個展を見てみると、この2点が序の口に過ぎないことがよくわかった。生まれは1898だから、溝口健二監督と同じ(こう書くと自分にはわかりやすい)。1924年から31年までパリに留学し、シュルレアリスムの影響を受ける。ちなみに1924年はアンドレ・ブルトンによる「シュルレアリスム宣言」の年。ブルトンはわずかに2つ年上なので、まさに同時代である。
その頃のシュルレアリスム作品は、どれもどこかに社会の風刺のようなものがある。いつも暗い感じの色を使い、あえて薄汚れた印象を与える。正直言って絵としてあまりうまいとは思えないが、どこかに存在の不安があって、落ち着かない。
1941年には瀧口修造と共に治安維持法で逮捕され、7カ月ブタ箱へ。同じ頃に映画評論家の岩崎昶も逮捕されている。彼の絵にプロレタリア的な要素はほぼないが(赤いソ連国旗のマークが出てきた絵が一枚あったが)、巨大な人間が街を歩くような、大胆でシュールな絵画を次々と描くだけで恐れられたのかもしれない。戦争画も一枚あった。これがかなり出来がいいが、ある映画のショットを真似したものだという。
そして戦後の脱力感を表すような絵が現れる。《敗戦群像》(48)などは何人もの裸体が折り重なって、山をなしている。こうした絵が続くかと思うと、52年に渡欧して中南米を経て54年に帰国してからは、ド派手な人間たちを描き始める。これまで使わなかった赤、青、黄の原色ばかり。さらに65年にアメリカに行って、黒人運動のパワーが乗り移ったような絵が現れる。
70年代から80年代にかけてが一番おもしろい。ダンテの『神曲』や日本の『往生要集』をモチーフに地獄絵を描いたかと思うと、石油危機をモチーフにした《トイレットペーパー地獄》(74)など現代社会を描く。『悪のボルテージが上昇するか21世紀』(86)は、ビル群を背景につかみ合う裸体の群像を描いているが、88歳で描いたとは思えないほどのパワー。
時代ごとに外国や社会の影響を受けながらも、人間の生き方を凝視してきた画家の執念が最後に集結した感じ。これに比べたら《四月馬鹿》などは児戯に等しい。

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