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2019年3月25日 (月)

『やおいかん 熊本地震』の濃密さ

大学時代の親友の岩永芳人君から、最初の著書という『やおいかん 熊本地震《復興への道標》』が送られてきた。彼は読売新聞西部本社の記者で、これは熊本地震のその後を追った新聞連載を本にしたものだ。彼は熊本に3度も勤務していたが、地震の時はそこにいなかった。
2016年4月に起こった地震の後、彼は熊本勤務を希望した。地震の連載を書くために、編集委員として9月に4度目の勤務を始めたという。新聞記者の文章は読みやすい。文字の大きな200ページ強の本だからすぐに読めると思ったが、そうはいかなかった。
なぜなら、書かれている内容が濃密だったから。私はこの地震が起こった時期にパリにいたこともあって、熊本地震の印象が薄い。東北大震災は東京でも大きな揺れを感じたこともあって今も考えるが、熊本地震は遙かかなたに消えていた。しかし岩永君の本は、現実はそんなに甘くないことを教えてくれた。
最初の「聴覚障害者と支援」でガツンと来た。「闇の中では手話は使えず、意志の疎通ができない」。坪井誠君は「水や食べ物の提供に関する情報がマイクの音声だけで知らせることに困惑した。トイレの場所もわからなかった。「文字でも知らせて欲しい。耳が聞こえる人にも役に立つはず」と提案した」
「罹災証明や家の解体の手続きには苦労した。熊本県の手話通訳制度を利用したが、通訳が派遣されるまで時間がかかった」。記者は「聞こえない人たちからの取材は手話通訳に頼った。取材相手と通訳が楽しそうに手話を交わしていることがあった。二人が笑っていても手話がわからない私は蚊帳の外」。彼の姿が目に浮かぶ。
どの章も「そうなんだ」という発見の連続だが、一番心に残ったのは東北大震災で熊本の消防航空隊に救助された9歳の少女・鈴音さんが、6年後に義援金を持って熊本に行く話。当時近所の人が「ひばり」という機体の文字を覚えていて、ネットで調べて熊本航空隊とわかった。感謝のメールを送ったり、寄せ書きを送ったりすると、その時航空隊員が撮った彼女の写真が送られてきた。それから交流が始まった。
もちろん熊本航空隊は東北の経験を生かして、地元の地震でも活躍した。本に収録された6年前の写真を持って笑う鈴音さんの写真を見るだけで、泣けてしかたがない。
ほかにも何回も泣いた。病院で救急患者を仕切り、牛を飼い、旅館を営み、祭りを復活させ、詩歌を作る人々。特に彼らの熊本弁は心に沁みた。「こげんして人間は死んでいくとばい」「ああ、なんもかんもなくなったなあ」「思い出したら頭に来るばってんが、もう、どうしようもにゃあけんな」。
私は福岡県南部の出身で母が熊本県生まれなので、実家の言葉とほぼ同じ。また母のことを思う。ちなみに本の題名の「やおいかん」は「たいへんだ」という意味で母もよく使った。

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