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2019年3月27日 (水)

卒業式に考える

私は、自分の卒業式というものの記憶がほぼない。中学校では、私を好きだった1つ下の女子が、詰襟学生服の二番目のボタンをもぎ取っていったことだけは覚えている。今もその習慣はあるのだろうか。しかし式の記憶はゼロ。

高校の卒業式は、入院していたので出ていない。大学の卒業式はかすかに覚えている。大学の交響楽団の演奏でワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を聞いて、晴れやかな気持ちになった。洋々とした前途が自分の前に広がっている気がした。昼前には終って、フランス文学科研究室に行って先生方とお茶を飲んだ。


たぶん夕方早い頃には自宅に帰ったのではないか。祝賀会も宴会も、何もなかった。こんなことを書いたのは、先日自分が務める大学で10回目の卒業式があったから。


私の大学では、まず朝から日本武道館で卒業式がある。もちろん学生は参加できるが、私のような一般教員はできない。それを終えて各学部に学生は行く。午後1時から学科別の学位記授与式。いわば卒業証書を渡すのだが、これを「以下同文」とはいえ全員の名前を読んで渡すからすごい。私の卒業した大学では、学生代表がもらって、あとは事務室に取りに行った。


これは2時半には終わる。それからみんなで廊下や研究室や中庭で写真を撮ったり、話したり。写真を撮ると教員はすることがないので、私は研究室の窓から、中庭の学生を見ていた。すると、研究室に話しに来る学生がいて少し嬉しかった。


4時頃から大ホールで学部全体の祝賀会。学部長の挨拶とか後援会長の挨拶とかあって、乾杯。ここには酒や食べ物も出る。私は映画学科でもマイナーな理論系なので知っている学生は少なく、いつも手持ち無沙汰。たまに学生や教員と話すが、とにかく話すことがなくて、間が持たない。


それが5時過ぎに終わって、7時半から映画学科学生主催のパーティ。最初の頃はそれにも出ていたが、この2、3年は出ていない。まず理論系の学生は出席が少ないし、学生は楽しそうでも自分は何とも思わない。そこには自分の居場所がない。


その日、学生は嬉しそうで、一日中大騒ぎしている。私は卒業式の後に入学式が来るこの時期には、いつも小津安二郎の『小早川家の秋』の終わりの笠智衆のセリフを思い浮かべる。「人間は死んでも、後から後からせんぐりせんぐり生まれてくる、ようできてるもんだ」


 

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