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2019年4月17日 (水)

ノートル・ダムの火事に考える

私はパリにほぼ毎年行っている。日本からの飛行機でパリ空港に着いただけでも、30回は超えていると思う。しかし「おフランス」と言われるのは嫌だった。昔の「おそ松くん」のイヤミのイメージが沁みついているのかもしれない。イタリア語を勉強したのもフランスを相対化するためだった。

そんな私でも、ノートル・ダム大聖堂の火事のニュースには愕然とした。朝5時頃起きて、フェイスブックにフランスの友人が「目の前で起こっていることが信じられない」と書いていた。私も個人的には9.11よりもショックだった。ノートル・ダムは、いつもパリの真ん中にあったから。

パリで泊まるのは、留学時代は14区、会社員時代の出張は6区、今は13区だが、いずれにしても左岸。空港からタクシーに乗ると、必ずセーヌ川を渡る。するとどの橋を渡っても、右手か左手にノートル・ダムが見える。

あるいはバスでルーヴル美術館やオペラ座付近に行くと、右手に見える。そうでなくても、ポンピドゥー・センターの上から見たり、友人のアパートやホテルの窓から見たり。いつも、そこにあった。

高校生の時、授業で森有正の文章を読んで感激し、あろうことか筑摩書房の全集を揃いで買った。森は1950年、東大仏文科の助教授の時にフランスに留学し、そのまま住み着いて東大を辞めてしまった変人だ。

彼の「遥かなノートルダム」「黄昏のノートルダム」「遠ざかるノートルダム」といった哲学的エッセーを読むうちに、私は大学でフランス文学を専攻する意思を固めた気がする。だから私は今でもノートルダムを見ると、森有正を思い出す。全集は働き始めて数年後に売り払ったし、もはやその文章さえも覚えていないけど。

彼のぎこちないなバッハ演奏のレコードも持っていたと思う。学生時代にクラシック音楽を聴いたのは、このバッハからだった。つまりは、ノートルダムは私の原点の一つだった。

ある高名な仏文学者で評論家の方と昨日メールのやりとりをしていてこの火事に触れたら、「いっそ焼け落ちれば良かったのにと思ったりするのは、不遜でしょうか」と書いてきた。確かに800年前とはいえ、所詮は人間の作ったもの。ポンピドゥー・センターと同じだと考えたら、どうでもよくなってくる。

とりあえず、大学教師を10年終えた時に、ノートル・ダムが焼けたと覚えておこう。少なくとも元号が変わることよりも、あの映像は記憶に残りそうだから。

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