林忠正について考える
国立西洋美術館の新館では、時おり新聞社が関わらない自主企画の渋い小さめの展覧会がある。版画素描展示室で5月19日まで開催の「林忠正展」がそれで、副題は「ジャポニスムを支えたパリの美術商」だが実に興味深い。
もともと国立西洋美術館は、実業家の松方幸次郎が1910年代以降に購入したフランス美術のコレクションの日本返還が基盤になってできた美術館。1853年に生まれ1906年に亡くなった林忠正は、その遙か以前にフランス美術を大量に購入し、日本で西洋美術館を建てる構想を持っていたという。
現代から見ると、林の最大の功績はフランス美術界にジャポニスム=日本趣味を巻き起こしたことだろう。日本美術を売る最初の画商として、1978年のパリ万国博覧会以降、日本の美術品をフランスに売りさばいた。彼はフランス語を日本で学び、開成学校(後の東大)に入学するが、78年のパリ万博に際して通訳として渡仏する。
そこで日本美術熱を見た林はそのままフランスに滞在した。そして美術雑誌の編集長ルイ・ゴンスが83年に出した「日本美術」の著述を手伝い、翌年「日本美術の情報と案内」と銘打った美術店を開店し、日本美術、とりわけ浮世絵を売ったという。
「1900年のパリ万博では博覧会事務官長を務め、1000年以上にわたる日本美術を概観する「日本古美術展」を開催。国宝級の作品を含んだ本展は大きな反響を呼んだ。一方、母国日本の次世代育成のために美術館設立を目指し、パリで印象派を含む同時代の作品を収集。1905年に作品と共に帰国するも、まもなく病に倒れ、志半ばで52歳という年齢でこの世を去った」
以上は会場で無料で配っていた小冊子状の詳しい作品リストの文章。会場には万博のカタログや彼が関わった書籍が並ぶが、一番多いのは彼が受け取った書簡。ビングのように在仏の画商もいるが、英国、ドイツ、アメリカなどのコレクターも多い。あるいは浮世絵を広めたゴンクール兄弟や日本の初期洋画家に大きな影響を与えたラファエル・コランなど。
林の遺族の個人蔵を中心にしたいわば資料展だが、十分におもしろかった。展覧会は必ずしも美術展でなくてもいい。ミュージアム(美術館=博物館)の一番の役割は、人間の歴史を保存してゆくことにあると最近は考えている。
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