大学院の悲劇
昨日の「朝日新聞」東京本社版社会面の記事「気鋭の研究者 努力の果てに」に大きな衝撃を受けた。実はこれは数日前に朝日新聞デジタルの記事になっていて、フェイスブックで話題になっていた。なぜ新聞よりネットに先に出すのかは疑問だが、それは置いておく。
デジタルで全文を読むのは有料なので、簡単に記事を要約すると、43歳の東北大学の博士号を持つ女性が16年2月に職がなくて自殺したというもの。江戸中期の仏教を研究し、04年に博士号を取得。その後日本学術振興会(学振)の特別研究員に選ばれて、年に論文2本、学会発表4本のノルマを自ら課す。08年には成果をまとめた本を出し、翌年に日本学術院学術奨励賞を受賞。
45万円もらえる特別研究員は3年が限度で、その後は私立大学の非常勤講師や専門学校のバイトをしながら、20以上の大学のポストに応募した。すべて断られ、「非常口を開ける」と両親に宣言して一回り以上も上の男性と結婚するが、半年もたたずに破綻。何とか離婚届を書いてもらって市役所に出したその日に自殺。
私も今は研究者の世界が少しはわかる。この方は相当に優秀だったはず。学振の特別研究員は相当の難関だし、45万円もらえるのは特に優秀な者に限る。年に論文2本、学会発表4本なんて、数年続けたら毛が全部抜けてしまいそうだ。そして本を出して学振の賞をもらうなんて、指導の東大名誉教授が言うように「ほとんど独壇場と言っていい成果を次々に挙げていた」のもわかる。
問題はどうしてこんなに優秀な人材が大学に採用されないのか。これは新聞の見出しの「増える博士 増えない大学のポスト」の通り。それからこれは書かれていないが、「江戸時代の仏教研究」のような分野は今は専攻する学生が減って、どんどんポストはなくなっている。同じ哲学でも、まだ西洋哲学史の方が需要があるかもしれない。
実は私が大学生の頃からこの問題はあった。大学院の博士課程を出ながら、大学のポストがなくていくつも非常勤講師をしている先輩を見て、私はフランス文学の大学院に行くことを躊躇した。映画の大学院を選んだが、途中で就職したのも同じ理由。但し当時は本当に優秀な学生には大学のポストが待っていた。
今は条件が悪すぎる。今世紀になって博士課程の枠は大幅に広がって学生が増えた。なのに大学は社会に役立つことが重要視され、学生もそれに従った。一般教養の科目はどんどん減り、哲学や文学や史学は専門のポストも減った。
大学院に行ったこと、日本思想史を選んだこと、ヘンな相手と結婚したこと、すべて自己責任と言うことは簡単だが、あまりにもったいない。「人材がドブに捨てられている」と書かれている通り。私の関係する映画や映像の分野でも、極めて優秀な大学院生や博士取得者が、今もポストを求めて駆けずり回っているのを知っている。自分のように研究生活を経ずに大学教員になった身としては、本当に心苦しい。
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