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2019年4月24日 (水)

『麻雀放浪記2020』の希薄さを楽しむ

白石和彌監督の『麻雀放浪記2020』を劇場で見た。ピエール瀧出演のために公開が危ぶまれたが、予定通り公開したことが話題になっていた。この公開を応援したいと思って見に行ったが、週末にもかかわらず客の入りはかなり少なかった。

映画は、肩すかしというか、これまでの白石監督の演出とは違って、映像美や情念のドラマを抑えた、あえてバカバカしく軽いノリで攻めた感じ。全編をアイフォンで撮影したというが、映像は深みも迫力もなくペラペラで、むしろその希薄さを楽しんだ。

そもそもの設定が常軌を逸している。1945年の敗戦直後の東京で学ランを着た哲(斎藤工)が雷に打たれて、起き上がると2020年だった。そこは第3次世界大戦で「ゴリンピック」が中止になった直後の世界。国民は額にデータのチップを埋め込まれ、警察はデモを暴力で鎮圧する。

哲はコスプレ麻雀をするドテ子(もも)と知り合うが、彼女は仮想現実のゴーグルを被ってシマウマとセックスをしている。彼女を養う芸能プロの社長はその相手をしているが、哲を「昭和哲」としてフンドシをつけて売り出す。

ゴリンピックの代わりに世界麻雀五輪が開かれることになり、哲は参加して4人で世界一を争う。そのメンバーは、実は1945年に向かい合った連中だった。

「ゴリンピック」が戦争で中止になったり、警察がデモ隊にとんでもない暴力を使ったり、賭博で逮捕された哲の「謝罪会見」が型通りなのに世間が納得したりと、あちこちに皮肉が効いている。個人的に一番笑ったのは、麻雀五輪の解説を都知事として舛添要一本人がするところ。

後半のベッキー演じる人工知能ロボットとの対決は、ちょっと単純過ぎる気がした。もっとハチャメチャになってもよかったと思ったが、アイフォンを使ったゲーム映像と考えれば、こんなものかもしれない。根っから昭和の精神を持った白石監督が、あえて21世紀の映像を使ってみた感じもか。

白石監督はもう次の『凪待ち』が6月に公開というから、すごいハイペース。私には『麻雀放浪記2020』は、「1回休み」に思えた。

 

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