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2019年4月20日 (土)

『僕たちは希望という名の列車に乗った』の迫真性

5月17日公開のドイツ映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』が、かなりおもしろかった。旧東ドイツ時代の高校生たちの話と聞いて暗いものを想像していたが、見ているうちに完全に乗せられて111分があっという間に過ぎた。

1956年のベルリン近郊の街。高校生の2人組テオとクルトはベルリン行きの列車に乗る。祖父の墓参りと言って検問を通過し、西ベルリンへ。映画館へ行くが、本編の前のニュースで「ハンガリー動乱」の映像を見てショックを受ける。

翌日、2人は学校でその話をする。そして友人パウルのおじさんのエドガーが西ドイツのラジオ放送を聞いていると知って、みんなで聞きに行く。ラジオでソ連軍に数百人が殺されて、その中には有名なサッカー選手のプスカシュもいたと知る。

学校で授業が始まる前に、生徒たちはプスカシュのために2分間の黙祷をすると多数決で決める。先生が入ってきて、生徒たちが口を開かないのに驚く。校長は穏便に済まそうとするが、郡学務局からは女性局員ケスラーが調査にやってくる。

その合間にも高校生たちはエドガーの家に通う。そして調査に対しては、プスカッシュへの黙祷で政治的意図はないと述べることを多数決で決める。これに対する郡学務局のケスラーの追及が恐ろしい。個別に密告させようとしたり、高校生の両親の秘密を使ったり。

そしてとうとう人民教育大臣まで連れ出す。彼は「1週間以内に黙祷の首謀者を出さないと全員退学にする」と宣言する。動揺する生徒たちにケスラーは迫ってゆく。

まず、高校生たちの表情が生き生きしている。テオ、クルト、パウル以外にもテオとクルトの両方に愛される娘レナや、父親の衝撃の事実を知らされるエリックなどみんなの性格や表情の差が際立っていて、だんだん全員が愛おしく見えてくる。最後の彼らの勇気ある行動に涙を流してしまった。

大人たちも名優が揃っている。校長が『グッバイ、レーニン!』(2003)に出ていたフロリアン・ルーカスだったのには笑ったし、大臣は『ベルリン、僕らの革命』や『白いリボン』で見たブルクハルト・クラウスナー。テオの父親役も『東ベルリンから来た男』のロナルト・ツァフェルト。

脚本・監督のラース・クラウメはその前に『アイヒマンを追え! ナチスが最も恐れた男』を作っているが、見ていない。この暗い話を現代人にも共感できるようにサスペンス仕立てで巧みに見せることに成功しており、なかなかの力量。この秀作は、20世紀の歴史を考えるうえでも、ぜひ見て欲しい。

いわゆるベルリンの壁は、ドイツが分断されてすぐにできたイメージがあるが、この映画の時代にはまだできてない。その後の1961年からで、その前は東西ベルリンを列車で行き来できた感じもこの映画でよくわかる。

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