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2019年4月13日 (土)

授業は疲れる

大学の授業は、1月末に学期末が終わる。それから課題や試験の採点、2回の入試などがあるが、2カ月以上授業はしていない。そして今週から久しぶりに授業をしたら、これが実に疲れることに改めて気づいた。

普通、1時間半の講演を頼まれたら、相当の準備が必要だ。終わるとドッと疲れが来る。大学の大人数の授業もこれに似たところがある。マイクを持って話し、パワポの画面次々に見せて、時々DVDを映写する。学生が眠そうな顔をしたら、最近の映画などわかりやすい話題に切り替える。

外部での講演と違うのは、多くは毎年同じ講義なので、使い回しできるところ。同じパワポを使って、同じ話をして、同じ冗談を入れる。最近は、前年に落として再履修の学生もいることを考えて、毎回少し変えている。違う映像を見せたり、新しい話題を入れる。その方が自分にも刺激があっていい。

それでもこの講義を1日2回やるだけで、「ふーっ」という感じ。自宅で原稿を書いているのとは大違いで、かなり疲労感がある。そのうえ、毎年新入生が来る。彼らは目が輝いている。すると、こちらもちゃんとしないといけないと思う。

私の場合は週に7、8コマと多めなので、月曜から木曜までだいたい2コマずつ。時間にしたら1日たったの3時間で週に12時間だけど、木曜が終わるとホッとする。今年はまだ1週間だけだけど、この調子で7月末まで行けるのかと不安になるほど。

2年生以上の10人から20人のゼミ形式の方が、一見すると気が楽だ。これは学生に発表をしてもらうので、それ次第で授業はどちらにも流れてゆく。しかし逆に言えば、教える側の知識が試される。先生は何でも知っていないといけない、から。

美術や文学だと「自分の専門は19世紀後半のフランス」などと言えるが、映画は歴史が浅いこともあって、教師は何でも答えることができるのが当然と見なされている感じがする。そのうえ、映画は美術と違って誰でも好き勝手に自分の意見を言うことができるのが基本にあるし。さらに、私には大学院で長年研究をした経歴もない。

だから私は10年教えても全く自信がなく、本当は心の中でいつもオロオロしながら教壇に立っている。そう見えないようにしているけど。

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