「令和」盛り上がりへの違和感
街を歩いていると、あちこちで「令和」の文字を目にする。店の入口に大きく文字が書かれ、酒やお菓子にまでこの文字がある。私はその雰囲気をなぜか不快に思う。「平成」になった時は、全く盛り上がりに欠けていた。というか、昭和天皇が亡くなって「自粛」ムードが支配していた。
この違いについて、大澤真幸氏が数日前の「朝日」のインタビュー記事で的確に述べていた。
「私自身、昭和の終わりごろには、元号は消えゆくかもしれないと考えていました。ただ内向き志向の今回の『令和』肯定ムードからは、日本人が今抱えている独特の精神状態が透けて見える。『私たち』を誇りたい。でも、世界に向けて声高に叫ぶことはない。この矛盾のため、結局自分たちの内側だけで、盛り上がってしまう」
「平成の前半は自己反省しながらグローバル化に素直に対応していこうという感覚が強かった。『外』に開いていかざるをえないという意識の時代です。今はむしろ『私たち』の中だけで自分たちの固有性を誇ろうとしている。令和への改元で垣間見えた元号への愛着は、世界の片隅で小さく生きていくことは素直に受け入れられない、言ってみれば虚勢に近い感覚です」
私が「令和」ブームを見て落ち着かないのは、この内向きの「虚勢」に近い愛国心なのだろう。どうして堂々と「世界の片隅で小さく生きてゆく」と思えないのか。
かつて新聞社に勤めていた時は、書類はすべて西暦だったが、私が勤務する大学は「平成」を使うのが原則だ。これが5月から「令和」に変わると考えただけでイライラする。
原武史氏がどこかで、平成の間に強まったのは「国体」である、と書いていた。これは現天皇が第二次世界大戦の激戦地に花を捧げ、地震などの被災地で膝をついて被災者と話した結果である。そして極めつけは2016年の退位の「お言葉」。これでみんな天皇が好きになった。
確かに今の天皇は私にとっても好感度は高い。被災地を訪れる姿には涙さえ出る。しかし一方であんな老夫妻に全国行脚をしてもらって喜んでどうする、とも思う。彼らも大変だろう。もう、そんな存在は必要ないと思いたい。いずれにしても、次の皇后となる雅子さんは今のような行脚はできないだろう。ならば、ぜひともこの雰囲気を変えて欲しい。
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