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2019年4月21日 (日)

25年ぶりの歌舞伎

かつてよく行ったのに、今はパッタリ見なくのに、オペラやクラシックやジャズのコンサートがあるが、歌舞伎や能・狂言もその一つ。歌舞伎を見始めたのはほかより遅くて、1986年春に東京に出てきてから。

大学院は演劇と映画が同じコースだったので、歌舞伎を専攻する同級生の影響で歌舞伎座に通い始めた。大学院は1年で辞めて国際交流基金に就職したが、そこは日本の文化を海外に紹介するところ。当然歌舞伎の海外公演も一手に引き受けていて、先輩たちは実にくわしかった。招待券もよく回って来た。

さらに夜にイタリア語を習いに行ったところ、その先生が歌舞伎が大好きだった。あれやこれやで、4、5年は実によく歌舞伎を見た。ところが新聞社に移って、ほとんど見なくなった。仕事に熱中し過ぎて、その余裕がなくなったのだろう。

今回猿之助の「黒塚」などを見に約25年ぶりに歌舞伎座に行ったのは、ある映画プロデューサーから招待券をもらったから。察するに猿之助が出た映画を製作していた人だからチケットをもらったが、行けなくなったのだろう。

久しぶりに行ってみて、確かに「余裕」がないと行けないと改めて思う。夜の部は夕方の4時半に始まって、終わりは9時近い。途中に休憩が30分と20分あるが、4時間半もかかる。平日は普通の会社員はまず行けない。朝は11時に始まるこの2回制は、昔と全く変わっていない。国立劇場は夜の6時半から始めたりもしているが、ここは相変わらず。

たぶん、中にある食堂や弁当屋やお土産物屋でお金を落としてもらわないと、全体が回らないのだろう。大半が中年以上のお客さんもそれを楽しみに来ている感じだし。中の弁当はずいぶん高いが、芝居だけでなく食事などにも大金をかけて、たっぷり時間を過ごすことが、歌舞伎座の楽しみか。

考えて見たら、新しい歌舞伎座になって行くのは初めてだった。中身以上に驚いたのが、歌舞伎のしつらえというか、舞台の構造。下手(舞台に向かって左側)に花道があるのは当然だが、今回は上手にもあった。前はなかったような気がする。花道からの登場や退場が見どころの一つだと改めて思う。

今さらながら驚いたのは、役者以外の語りや音楽の豊かさ。音楽は主に上手で三味線や笛や鼓を鳴らすが、下手の黒御簾の向こうに姿の見えない人々が銅鑼や太鼓を鳴らすのにびっくり。エイゼンシュテインが1928年のモスクワ公演を見て、「これはモンタージュだ」と叫んだのを思い出した。恥ずかしながら、ほとんど外国人の歌舞伎見物に近い。中身については後日(たぶん)書く。

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