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2019年5月26日 (日)

また『アマンダと僕』を見る

夏のパリが好きだ。涼しくて空気が乾いていて、日差しが優しく、青葉が目に沁みる。3年前は3月から9月までいたが、ちょうどカンヌが終わった今頃から9月半ばまでが、最高気温が20度から25度くらいで気持ちのいい夏だった。そんなことを考えていたら、6月22日公開のミカエル・アース監督『アマンダと僕』をまた見たくなり、試写に行った。

これは昨秋の東京国際映画祭のコンペで『アマンダ』の題で見ていたが、やはり再見してよかった。この映画にはエッフェル塔もシャンゼリゼもルーヴル美術館も登場しないが、普通の人々が生きる場所としてのパリが描かれていた。その意味では、今公開中の京都を撮った映画『嵐電』に近いかも。

最初に学校の建物を写す固定ショットがいくつか出てくる。まずで小津安二郎の「枕ショット」のよう。主人公ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)の姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)や叔母モードのアパートから見える光景は何度も写る。場面が変わるごとにこうしたショットや、ダヴィッドが走ったり自転車に乗ったりする場面の移動ショットを挿入し、何気ない夏のパリを見せる。

物語は、24歳のダヴィッドがテロで姉を亡くし、その7歳の娘のアマンダと暮らし始めるというもの。テロという極めて現代的な事件を描きながらも、事件そのものではなくそれによって傷ついた人々の心の襞を細やかに描く。

先ほど書いた小津との関連で言えば、あえて大事なシーンを省略する。例えばサンドリーヌがテロで亡くなる場面も、病院も葬儀も一切出てこない。ダヴィッドと仲良くなるレナ(ステイシー・マーティン)もテロで右手を負傷して田舎(ペリゴール)に帰るが、ダヴィッドがそこに行く列車のシーンなどはなく、いきなり田舎の家の前にいる。

後半の盛り上がりは、サンドリーヌが予約してくれたウィンブルドンの試合のチケットを持って、ダヴィッドがアマンダと一緒にロンドンに行くこと。そしてかつて父のもとを去った母のアリソンに再会し、アマンダを紹介する。ここは涙なしには見られないが、その後にさらに涙の場面が用意されている。

ここも列車も駅もなくて、いきなりロンドンの街が現れる。ミカエル・アース監督は、映画で何を見せて何を見せないかということを熟知している。1975年生まれで長編3本目で日本初登場というが、フランス久々の大型監督である。

この映画の舞台は、主人公や叔母の住む12区と姉の住む11区。1992年の7月から9月まで11区の12区に近い側に住んでいたので、アリーグルの市など、あの地域の庶民感覚が懐かしかった。主人公のダヴィッドの話す静かなフランス語は、84年に留学した時の同級生で今は高校教師をしているセルジュ君を思い出した。

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