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2019年5月24日 (金)

『コールド・ウォー』の恋愛劇

腐れ縁というか、何十年たってもえんえんと続く恋愛がある。自分は経験したことはないが、映画だと成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955)とか吉田喜重監督『秋津温泉』(1962)とか。これは日本映画の専売特許かと思っていたが、6月28日公開の『コールド・ウォー あの歌、2つの心』がそうだった。

題名通り、コールド・ウォー=冷戦時代の話である。1949年から1964年までのポーランドとパリを中心に永遠に一緒になれない男女を白黒で描く。ヴィクトルは民族舞踏団の創設者の1人で、そこに入団試験を受けにやってきた歌のうまい娘ズーラに注目する。2人はだんだん惹かれ合う。

ポイントは2人とも時流に乗ることを知っていたこと。ズーラはソ連の歌を歌うし、ヴィクトルは大臣の要請でスターリンを賛美する歌を出し物に加える。首都ワルシャワの公演に成功し、海外公演が舞い込む。東ベルリンでの公演の時に、ヴィクトルはズーラに亡命を提案する。

しかしズーラは決心できなかった。ヴィクトルはパリでジャズの編曲や演奏をして暮らし始める。そこにある時、ズーラがやってくる。彼に会うためにイタリア人と結婚したという。そしてすぐに去ってゆく。

それから、ユーゴ、パリ、ポーランドで2人は再会する。あらゆる危険を顧みずズーラに会いに行こうとするヴィクトルと、男たちを利用して楽に生きながらもヴィクトルへの愛を断ち切れないズーラの姿が鮮烈に描かれる。

映画はたぶん10つくらいのシーンに分断されて、数年がポンと飛ぶ。あえてその合間が暗くなり、無音の瞬間がある。まるで、その後の変容を暗示するように。そして静謐でドラマチックなラストへ向かう。

たぶんこの映画を本当にわかるには、ソ連の圧力に翻弄された当時の東欧の雰囲気を知る必要があるのかもしれない。私はワイダの『灰とダイヤモンド』でさえも、主人公の男の戦いの意味が本当のところはよくわからないから。それにしても、この白黒の映像の強度は忘れがたい。たぶん2度目に見ると、もっとよくわかる気がする。

監督は『イーダ』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ。何と1957年生まれで、『イーダ』以前にも日本未公開の作品を多数作っているベテランだった。確かにこの映画の美的センスは明らかにひと時代前のものだ。

 

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