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2019年5月12日 (日)

展覧会をめぐる本:その(1)高橋明也著『美術館の舞台裏』

最近、展覧会をめぐる長い文章を書くことになり、関連の本を読んでいる。美術館や博物館の歴史から、いわゆる博物館学の本、そして新聞社事業部員や百貨店催事担当者の回想記までいろいろだが、なかなか私にとってのツボに触れる本がない。そんな中で「自分の考えに近い」と思ったのが高橋明也著『美術館の舞台裏―魅せる展覧会を作るには』。

高橋氏は国立西洋美術館の元学芸課長で、今は三菱一号館美術館の館長。私は西美時代には展覧会の企画を持ち込んだし、記者として取材したことも。彼が三菱に移ったのは2006年だが、開館した2010年には私はもう大学にいた。

この本で彼が書いていることをまとめると、美術館はこれまで新聞社を始めとするメディアの事業部にお世話になったが、これからは自立しないといけない、ということ。それは私の考えに近い。高橋氏は美術館学芸員のエリート中のエリートで、私は生涯「何でも屋」だが。

彼はマスコミの力を素直に認める。「マネジメントにおいて実権を握っていたのは新聞社をはじめとする各メディアだったからです。つまり、メディアとの共催という道を歩んできた日本の美術館にとっての一番の弊害は、お金のマネジメントができる人材を育てられなかったという点にあります」。だから三菱の美術館では4人の展覧会マネジメントスタッフを用意したという。

メディアが組む弊害はほかにもある。日本のメディアは膨大な借用料を海外の美術館に払う。それが世界の美術館をお金漬けにした。「最初は頑なに「商業的な企画」を拒否してしましたが、次第に金銭的な見返りを期待するようになり、日本の海外展を資金獲得のために利用する方向に走り出したのです。高橋氏は「シャルダン展」で監修を頼んだルーヴル美術館の元館長に言われる。「作品をお金で集める習慣をつけてしまったのは日本人なんだよ」

さらに「展覧会批評」が成立しない。「これまで長い間、ジャーナリズムの長というべき新聞社が展覧会に直接関わるという日本独自の構造により、展覧会を客観的に批評する場を自ら狭めていたこともその原因の一つです」「紹介はできても、批評せず、の風潮がすっかりできあがってしまっているのです」

美術館としては、メディアに頼らずに学術的にレベルの高い展覧会をやりたいが、赤字続きは三菱のような民間だけでなく今や国公立も許されない。「一本、かなりの動員数を見込める商業的な展覧会を企画して、そこで収支的に点数を稼いでおく、そのストックを上手に分散しながら、一方で、赤字にならないよう、学術的な意味でもクオリティの高い展覧会を開催する」

私はこの美術館の「KATAGAMI Style」展や「ヴァロットン展」や「シャルダン展」や「ルドン展」が大好きだった。この本にはほかにもおもしろい指摘が多いので、後日書く。

 

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