『もう一人の彼女』の李香蘭
川崎賢子著『もう1人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー山口』を読んだ。一生の間に中国、日本、米国で活躍し、3度も名前を変えたこの女優については、自伝『李香蘭 私の半生』があるし、四方田犬彦氏の研究『李香蘭と原節子』があるので、もはや付け足すことはないかと思っていた。
しかし川崎賢子氏の新著を読むと、まだまだ謎に包まれていることがよくわかる。
「「李香蘭」は日中戦争の終結とともに、象徴的には、死を迎え、戦後彼女は山口淑子として(英語圏ではシャーリー・ヤマグチとして)転生したのだ、というのが、彼女自身の語りによる神話化された言説である」
著者はその「神話化された言説」に疑問を抱き、米国公文書館を始めとする内外のアーカイブを訪れる。そこで「『支那の夜』における複数のヴァージョンの成立と、そこに関与したさまざまなレベルの検閲を追跡すると、一九四〇年代から五〇年代にかけての連続的な変容について、一九四五年八月一五日で打ち切られることのない、貫戦期の枠組みで考察することの重要性におもいいたる」
「貫戦期」という表現は知らなかったが、簡単に言い換えると、山口本人と彼女の出た映画、そして周辺の人々は戦前も戦後も怪しかったということだ。例えば彼女の父親からして変だとは、私も自伝を読んだ時に感じていた。自伝によれば、父親の山口文雄は満鉄の顧問で満鉄職員に中国語を教えていたという。
父は李際春将軍の友人で、娘を李の養女として縁組する。なぜこの大物軍人の友人かといえば、後に清朝の王女を川島芳子とする川島浪速が介在した可能性が高いという。「満州国、日中戦争時の情報戦にかかわる重要人物と山口文雄はなぜか通じていた」「友情というあいまいな霧をはらいのけて「情報戦」の概念で読み直すと、視界がはっきりすると考えるのはうがちすぎだろうか」
彼女が出た『支那の夜』は国策映画と思っていたが、当時は批評家には「国策にそぐわない、観客の教化の役にも立たない娯楽映画」と見なされていた。この映画はいくつもバージョンがある。著者は満州、ビルマ、ハノイ、シンガポール、ホノルル、ロサンジェルスなどで公開された版を検閲時報をもとに比較する。
この映画は戦時中のアメリカに敵国研究のために陸軍日本語学校に学ぶ者たちに見せられ、人気があったという。「やがて占領する者として長谷川一夫に感情移入し、『支那の夜』の「大恋愛物語」のオリエンタリズムについては、彼らの「甘美な夢」を先説する表象として、みんな歓迎している」
そのほか、『私の鶯』とロシアの情報戦、戦後の彼女に対する「赤狩り」的なCIAの調査ファイル、戦後の五本の香港映画(1本の合作を除くと現存しない)など、興味深い指摘に満ちている。こういう本を読むと、私も日本の戦後映画についてCIAのファイルを見てみたくなった。
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