映画館で公開されない外国映画には理由がある
私は昔から日本未公開の外国映画を見るのが好きだった。「日本では公開されてない傑作をパリで見たよ」と言うとカッコよかったから。私が学生の頃は日本公開の外国映画は年に200本前後だったから、確かに公開されない名作は多かった。ところが今では約600本を劇場公開しているし、衛星放送や配信を加えたらもっと増える。
逆に言えば、日本公開されない外国映画にはそれなりの理由がある。6月20日から開催される「フランス映画祭2019 横浜」で上映される長編15本のうち、劇場公開が決まっていないナダヴ・ラピド監督の『シノニムズ』の試写を見た。この映画は今年2月のベルリンで最高の金熊賞を取っているし、仏「カイエ・デュ・シネマ」誌では何ページも費やして大絶賛していた。
確かに非凡な才能を感じさせる映画だった。故国イスラエルに絶望してパリにやってきたヨアヴは、ついたとたんに身ぐるみを剥がれながらも、親切なフランス人の男女、エミールとキャロリーヌに巡り合い、何とか暮らしてゆく。パリではユダヤ人社会ともつながりができた。ところが次第に日々の不満は募ってゆくばかり、というもの。
まず冒頭で、シャワーを浴びているうちに服もリュックも奪われるヨアヴの全裸を見る。彼はバイトでヌードモデルをするし、彼の肉体に惹かれたキャロリーヌと寝ることになるので、何度も彼の裸を見ることになる。
ヨアヴはまさに体一つでパリに生きている感じだが、その肉体が何とも美しい。エミールにもらった辛子色のコートを着る姿は颯爽としている。彼がエミールと見つめ合っていると、男性同士で愛し合うのではないかと思ってしまう。
体以外に彼が持っているのは、膨大な故郷の記憶だ。祖父や父の物語そして彼の軍隊の体験を、小説家志望のエミールに語る。ヨアブの父は彼を引き戻すためにパリに来るが、彼は会うことさえ拒否する。
一方でユダヤ人の友達ができ、ユダヤ人のもとで仕事をしたり、パリのイスラエル大使館に行ったりするが、ヘブライ語を話すことを拒み、フランス語で通す。着いた翌日に買った辞書をいつも持参しながら。
地下鉄の中でも辞書を読んで覚えるが、彼のフランス語は文語調でどこかおかしい。題名の「シノニムズ」は原題もsynonymesだが、要するに「類似語」の意味で、彼が辞書の類似語を一人で声に出して暗記する毎日から来ている。
物語はブツブツに切れているし、カメラも突然ブレにブレる手持ちだったり、シュールな表現が混じったり、決して見やすくはない。しかしパリに住む外国人の気持ちは妙にリアルだし、イスラエルとフランスの2つの国への屈折した愛憎の表現が痛々しい。しかし、これらの感情は普通の日本人にはわかりにくいかも。
何よりパリの一見開放的に見えて実は限りなく閉ざされている感じは、一度そこで暮らした者にしかわからない。ユダヤ人問題も日本からは遠い。斬新なゴツゴツした映像とあいまって、日本公開が見送られたのだろう。
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