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2019年6月21日 (金)

もう1回、吉武さんについて

吉武美知子さんが亡くなってもう1週間がたつが、時々どうでもいいことを思い出す。パリ郊外のラ・デファンス地区での映画の展覧会を一緒に見に行ったのは1995年頃だろう。2人で地下鉄で行ったから、当時はまだ彼女はバイクに乗っていなかった気がする。

彼女はパリ市内の定期を持っていたが、私は切符をラ・デファンス駅まで買った。出口で彼女は追加の料金を払おうとすると、「あなたは無料乗車をしたので罰金です」と来た。たぶん3000円くらいだった。彼女は「前の駅まで定期を持っているのだから一駅分払えばいいでしょ」と言うが、駅員は「規則です」と折れない。

「絶対におかしい。日本ではありえない」と彼女は主張する。「では3日以内に不服申し立てをしてください」と紙を渡されて、「その申請が認められなければ、罰金はさらに高くなります」。彼女は「こうなったら、行くところまで行く!」Je vais juscq'au bout!と高らかに宣言して用紙を受け取り、身分証明書のコピーを取られた。

さらに高い罰金を払うのは目に見えていたが、それをやってしまうのが彼女だった。田舎者の私はその時、「江戸っ子ですねえ」と言った記憶がある。

吉武さんは、90年代までは映画の買い付け以外にいろんな仕事をしていた。80年代後半、朝日新聞の日曜版の連載「世界シネマの旅」のフランスの取材コーディネートは彼女だった。相当ギャラがよかったらしく、彼女を紹介した私はずいぶん感謝された。

フランス人弁士の通訳をやったこともある。1995年末に映画百年の一環で「ジョルジュ・メリエス 夢と魔法の王国」と銘打ち、メリエス映画80本をメリエス家から借りてフィルムセンターを皮切りに名古屋、大阪、高知で上映した。私は彼女にメリエスの曾孫の弁士マリー=エレーヌの通訳をお願いしたが、孫娘と姉妹のように波長が合って実に軽快で、大好評だった。

吉武さん、マリー=エレーヌ、ピアニスト2人(1人はマリー=エレーヌの息子ロランス)と一緒の5人の3週間の道中は、本当に楽しかった。マリー=エレーヌは世界中でメリエス映画の弁士をやったが、あれほど記憶に残る旅はなかったと今でも語る。

ほかにも、いろんな雑用をお願いした。吉武さんの仕事の中心が製作に移行するにつれて、そんな雑用は引き受けてくれなくなった。だから会う機会も減っていった。3年前にはパリに半年もいたのに、一度私のアパートに食事に来てくれただけだった。それ以来会っていなかった。私にとってはいろんな仕事をやっていた頃の吉武さんが懐かしい。

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