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2019年6月22日 (土)

『Girlガール』の一点突破

7月5日公開の『Girlガール』を試写で見た。ベルギーのルーカス・ドン監督の第一回長編で、カンヌで「カメラドール」(最優秀新人賞)を取っている。劇場で予告編を見て、急に見たいと思った。

最近はLGBTを扱う映画も増えた。しかし見ていてこれほど身体的かつ精神的に痛みが伝わってくる映画は、あまりないのではないだろうか。描かれるのは、いわゆる性同一性障害のララの話。

15歳のララはベルギーで優しい父親と可愛い弟と暮らし、国内有数のバレエ学校に入学したばかり。普通なら何の不満もないはずだが、実は男性の体を持ち本名はヴィクトールだった。毎日学校に出かける前に陰部にガムテープを張り、パッド入りのブラジャーをつける。

バレエの練習ではほかの女の子たちと区別さえつかないが、みんなとシャワーを浴びることを避け、ひたすら孤独な毎日を過ごす。その一方で二次性徴を抑えるホルモン療法を受け、将来の性転換手術に備える。父親も学校も同級生もみんなそのことを理解している。

このまま進むのかと思ったが、いくつかのできごとにララは大きなショックを受けて、体重は減りまともに練習もできなくなってしまう。同級生に冗談で「あなたのアレを見せてよ」と言われたり、好きな男性ができたり。

毎日、学校から帰るとガムテープを剥ぎ取るシーンが痛々しい。それから我慢していたトイレに行く。父親はすべてを理解して彼女に寄り添おうとするが、それがララにはつらくてたまらない。

ララは最後に大きな決断をする。それがいいのかわからないが、見ている我々は祈るしかない。途中からまるでドキュメンタリー映画を見ているような気分になり、ララの世界にのめり込んでしまった。

痛々しい映画なのに見終わっていい気分になるのは、バレエのシーンを始めとして丁寧に映像が作られているからだろうか。ララが光の中で踊り、輝く姿が脳裏に焼き付いている。性同一性障害者のバレリーナの日常を描いただけの映画だが、強烈な一点突破だ。

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