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2019年6月18日 (火)

『新聞記者』に泣く

6月28日公開の藤井道人監督『新聞記者』を最後の試写で見た。2年前に出た東京新聞記者の望月衣塑子による同名の新書を映画化したもので、妙に気になっていた。私自身は新聞社に勤務していたといってもたった17年だし、大半は文化事業部だったので「新聞記者」とはとても言えない。

社会部の望月記者のような存在は、社内でも遠くから見るものだった。それでも新聞社の建物に毎日出入りしていたので、新聞社特有の動きや匂いは常時感じていた。

今はそれから10年もたった。新聞記者をヒーローのように仕立てた映画をどう思うか、自分でも興味があった。ところが、これが泣いてしまった。実を言うと、見ながら「これは違うな」と何度か思った。

新聞社でこういう発言はないなとか、この場面はもっと上の人間が動くなとか、組んだゲラは外部には見せないなとか。内閣府での動きに、このような決断は官僚ではなく政治家がするはずだとか、そもそも内閣府のオフィスがどうも違うとか。私は新聞社の前は役所にいたので、省庁の感覚も少しはわかる。

ところが主人公の吉岡エリカを演じるシム・ウンギュンを見ていると、だんだん胸が詰まってきた。日本人の新聞記者だった父親と韓国人の母親を持ち、父親は大きな誤報を出して自殺したという設定。

韓国の俳優だから日本語はたどたどしいし、動作も少し違う。その彼女が懸命に事件を追いかける姿が、逆に妙な強いリアリティを生む。慣れない日本語での懸命の演技が、上司に止められても必死で政府の闇を追いかける内容にピッタリと合った感じ。

後半、彼女が追いかけていた内閣府肝いりの新設大学のスキャンダルが1面の記事になる時には、それまであった「違う」を忘れて感動してしまった。内閣府で彼女に協力的な官僚・杉原を演じる松坂桃李も最初はどうかなと思っていたが、シム・ウンギョンに押される感じで存在感を増してゆく。

私が感じた「違う」は、一般にわかりやすく見せるためにあえて単純化した部分もあったに違いない。その意味では見ごたえのあるサスペンスドラマに仕上がっている。

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