原武史『平成の終焉』が見せる行幸啓の真実
原武史の天皇制をめぐる本や発言についてはここで何度も書いたが、この3月に出た新書『平成の終焉―退位と天皇・皇后』を本屋でめくると行幸啓(天皇・皇后の旅行を指す)をめぐって興味深い記述があったので買った。彼の本はいつも的確でわかりやすい。そのうえ鉄道オタクなので、列車にはくわしい。
「平成という時代は、かつてないほど天皇、皇后が二人で全国を回り続ける時代だったといえます」「皇太子(妃)時代を合わせると、二人とも全都道府県を少なくとも三巡していることになります」
「御所には、皇太子(妃)時代以来の足跡を示す日本地図があるようです」。産経新聞の記事だと、行った場所には青や赤のピンが差されているらしい。しかし行っていない場所も多い。原が挙げるのは、精神障碍者を収容する施設、外国人が集まる国内の施設や学校(例えば在日コリアン)などだ。
海外ではサイパンやフィリピンなどの激戦地は訪れても、「瀋陽の柳条湖や北京の盧溝橋、南京、武漢、真珠湾、マレーシアのコタキナバルなどを訪れたことはありません。満州事変や日中戦争で日本軍が軍事行動を起こした場所や都市、太平洋戦争でも日本軍が米軍や英軍に奇襲を仕掛けた場所は訪れていないのです。このことが、加害としての戦争の側面を見えにくくしているのは否定できません」
これらはもちろん宮内庁や外務省が行かせようとしないのだろうが、被災地や戦争の激戦地を回る2人を見て感激するばかりではいけない。また昭和末期に「お立ち台」タイプの提灯奉迎が復活し、平成になって定着したという。即位の時には約5万5千人が提灯を持って皇居前広場に集まった。
「万単位の人々が夜に提灯を持って皇居前広場に集まり、天皇と皇后も提灯をもって二重橋でそれにこたえたのは、日中戦争で武漢三鎮が陥落した翌日に当たる三八年一〇月二八日以来のことでした」。さらに平成では自衛隊の堵列も何百メートルと大がかりになる。そして訪れた各地に行啓記念碑が建てられた。
「天皇の後ろを歩き、天皇の傍らで祈る皇后の姿が、現代の日本社会に与えている影響は決して少なくないように思えます」「皇后美智子は、大学を出て就職することなく結婚し、家では夫を支え、三人の子供を育てる「良妻賢母」としての役割を果たしました」
平成天皇と皇后が内外を歩く姿は美しく、人びとを感動させる。しかしこんな影の部分もあったとは考えなかった。天皇が意図したことではないだろうが、平成時代に「国体」が強化されたのは間違いない。
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