並ぶのが好きな若者たち
学生たちを見ていて思うのは、10年前と比べても、おとなしくなったということ。文句を言わず、波を立てない。典型的なのは、みんなよく並ぶことだ。例えば、授業の前に教室の入口にプリントを置いて、ばらばらと入ってくる約200人の学生にそれを取って席につけと指示する。
すると学生は長い長い列を作って、話したりスマホを見たりしながらのんびりと順番を待つ。配布場所を増やしても、それに応じて2列を作ろうとさえしない。あくまで1列でゆっくり待つ。こちらが大声を挙げて強制的に2列を作らない限り、そのまま。誰も人と違う行動は起こさない。
それは学内の廊下でも同じ。誰も人を追い越さないでたらたらと歩く。彼らにとっては授業に遅れることよりも、廊下で「すみません」と声を挙げて追い越すことの方が問題のようだ。
だから「チームラボ」の展示でも、サントリー美術館の「information or inspiration」展でも、若者は実に楽しそうに並んでいた。いや普通の美術展でも混む時に、一列を作ってゆっくり進むのは若い人が多い。
私の自宅の近所に、ちょっと個性的だが大味でくどい中華がある。なぜかそこはSNSで話題になっているようで、いつも列ができている。すぐ近くに何倍もおいしい中華があってそちらはだいたいいつでも入れる。要は人と並びたいのだとしか思えない。
そんなことを考えながら佐藤優と片山杜秀の両氏による『平成史』の文庫版を読んでいたら、次のような片山氏の発言があった。
「平成は、それなりに生きてゆくにはとりあえず充分という極相に達して「坂の上の雲」ならぬ「坂の上の平原」といえますね。もう上はないだろうけど、平らかに、それなりに高いところで成っている平原。もっと成り上りたいという気持ちはないが、堕ちることへの恐怖は強い。
つまり平原といっても果てしない平原ではなく、地図がなくてすぐ先が行きどまりの崖かもしれない。危なさを感じているけれども、自己防衛には限界がある。かといって防衛しないわけにはいかない。そこで石橋を叩いて渡る。なるたけ留保する。冒険主義は好まない。撤退や現状維持に関心がある」
この2人は私と同世代。つまり働き始めて4、5年で平成になり、平成の30年で定年近くになった。つまり自分たちがこの「坂の上の平原」を知らないうちに作ってきたのではないか。ところが気がついてみたら、そこからもれ落ちる人々が増えてロスジェネや格差やひきこもりなどを累積してきた。
若者はそういうずるい大人を見ながら処世術を学んできたのかもしれない。
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