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2019年6月12日 (水)

『誰もがそれを知っている』の闇

アスガー・ファルハディ監督の新作『誰もがそれを知っている』を劇場で見た。普通どんな巨匠でも外国で撮るとどこかおかしくなるが、このイランの監督は、フランスで撮影した『ある過去の行方』(2013)が実にフランス的な傑作だった。さてスペインではどうなるか。

そのうえ、今回はスペインの大スター、ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムが主演で、準主役にはアルゼンチンの名優、リカルド・ダリンも加わっている。『ある過去の行方』は、舞台はパリでも主演の一人はイラン人で背景にイラン社会が出てきたが、今回はその要素もない。

しかし、冒頭から最後までスペインの田舎の匂いがプンプン漂う、純スペイン映画に仕上がった。あるスペインの田舎にアルゼンチンで暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が2人の子供を連れて戻ってきた。妹の結婚式のためだったが、その夜のパーティで娘のイレーネが突然姿を消す。

ラウラには身代金を要求するメールが届き、彼女は幼馴染のパコ(ハビエル・バルデム)に相談する。アルゼンチンから夫(リカルド・ダリン)もやって来るが、犯人からは警察に連絡したら娘を殺すとメールが来て手出しができず、親戚中が考えあぐねる。そこである秘密が明かされて、事件は動き出す。

登場人物には、一人として感情移入できるようなタイプの人間はいない。犯人でなくてもみんな少しだけ怪しげで、どこかに腹黒い闇を持つ。極めつけはラウラの父親で、カフェで酔って「このあたりはみんなオレの土地だった」と威張りチラシ、パコに「使用人の息子のくせに家族のように出入りするな」と言ってしまう。

犯人は意外なところにいるのだが、最初から最後まで画面に人物が出てくるたびに、何か悪いことが起きそうな気がしてしまう。この不穏な感じがアルモドバルを思わせるのは、アルモドバルとよく組むホセ・ルイス・アルカイネが撮影してることもあるだろう。風景の中にしっくりと人物がなじんでいる。

映画としては『別離』や『ある過去の行方』に比べたら、後半の展開が単純すぎて驚きが少ないかも。それでも監督以外はすべてスペインのスタッフとキャストの中でよくこれだけの映画を作れたものだと思う。

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