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2019年7月31日 (水)

『ドッグマン』の強烈さ

8月23日公開のマッテオ・ガローネ監督『ドッグマン』を試写で見た。最近は週に2、3本映画を見て、それなりのものは多いが、久しぶりにズキンと来る強烈な映像を見た気がする。

この監督は『剝製師』(2002)をイタリア映画祭で上映した頃から注目していた。今世紀になって忽然と出てきたイタリアの監督でも、クールな美的映像で酔わせるパオロ・ソレンティーノと違い、あくまで過酷な現実を見せることからドラマを積み上げるのがガローネ流だ。『ゴモラ』(08)には心底震えた記憶がある。

ところが『リアリティ』(12)になると、シュールな方向に行ってしまう。それはそれでおもしろいのだが、今回の『ドッグマン』は『ゴモラ』と同じように、イタリアに潜む闇の現実に戻ってきた。

冒頭に怖い大きな犬が出てくる。それをあやす男の南イタリア訛りの強い声。どうも飼い犬の毛を洗うことを商売にしている男のようで、店の前には「DOGMAN」と書かれた看板がある。海岸は近く、周囲に古いアパートはあるが、巨大な何もない空き地が広がっている。この不毛な土地を見ただけで、既にものすごい映画が始まる気がする。

物語はシンプルだ。犬のケアサロンを営むマルチェロは、友人たちと食事やサッカーを楽しみ、時々愛する娘と会うささやかな生活を送っている。ところが暴力的な友人のシモーネに、支配されて利用される関係から抜け出せずにいた。ある時、シモーネの儲け話に協力してしまい、刑務所に行く羽目になる。

みんなに親切で気の弱い小男が、優しさゆえに悪の道に入ってしまうさまを克明に描く。映像は暴力的だが、その奥にはまるで犬のように世界をじっと静かに見つめるマルチェロの強い視線がある。マルチェロとシモーネの共依存関係は普通には理解しがたいはずだが、どこか感じるものがあり、違和感はない。マルチェロの最後の怒りに共感してしまった。

ある意味で誰にも起こりうるとんでもないできごとを、ひっそりとしかしずっしりと見せられた感じというか。その奥からは不毛な南イタリアの乾いた大地と黒く深い海が匂ってくる。久しぶりに「映画を見た」という感じを味わった。

試写室で隣の女性は暴力的な場面が出てくるごとに目を覆っていたので、そういう映画が苦手な人向きではないが。

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