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2019年7月 4日 (木)

『サタンジャワ』に考える

「サイレント映画+立体音響コンサート」と銘打った『サタンジャワ』の公演を見た。インドネシアのカリン・ヌグロホ監督が作った白黒・サイレントの映像に、歌やダンスや楽器のパフォーマンスが加わったもので、音楽・音響デザインは森永康弘。

舞台には奥に映像があり、手前の左側に10人以上が楽器を持って座っている。それ以外に歌を歌ったり詩を朗読したり踊ったりする男女が数名。さらにスピーカーから音が聞こえてくる。映像には時々字幕が入るから、それを読んでいると手前のダンスを見逃したりする。情報量が多すぎて、一回見ただけではすべては味わえなかった感じ。

この作品は2016年の初演以来、豪州や欧州で公演されており、日本では初めてという。各地の音楽家と組むので、すべて異なる作品になるようだ。さて日本人と組んだらどうなるかということだが、音楽の森永氏は何度も準備のためにインドネシアに行ったとパンフに書かれており、現地の俳優やダンサーや音楽家も参加しているので、日本人の歌手や演奏家がいても、基本はインドネシア風というか、ガムラン調だった。

70分の映像は、ある貧しい若者が貴族の娘に恋をして、その思いを遂げるために悪魔と約束を結ぶ。若者は富を得て娘と結婚するが、悪魔との約束は家が壊れ続けるというもの。娘は耐えかねて、悪魔のもとに赴いて身を捧げる。

20世紀初頭が舞台でオランダによる植民地支配で人々は苦しんでいたと書かれているが、映像ではそれはあまりわからない。貴族の家には白塗りの道化師がいて、悪魔は仮面を被っている。全体に能を見ているような、象徴的な表現が目立つ。

手前で踊っているのは、映像に出ている若者や悪魔のようで、まるで戦前の日本で流行った「連鎖劇」のように、映画から俳優が飛び出した感じ。映像自体は家に割れ目ができて自壊してゆくシーンなどなかなかの迫力だし、貴族の娘が何ともエロチック。終盤に実際の踊り手や歌手を影絵で見せる演出もなかなか。悪魔との取引による「壊れ続ける家」という概念は後を引きそうだ。

映像史的に言えば、「エクパンデッド・シネマ」になるのだろうが、私は1999年に坂本龍一が日本武道館でやった映像と音楽を組み合わせたオペラ「Life」を思い出した。あるいはかつてあったという、映画が終わると俳優が出てきてチャンバラをする「連鎖劇」。

それにしても、お金のかかった贅沢な公演だった。朝日ホールで当日3500円だが、昼の回は私も含めて1/3は招待客だったので(これほどの知り合いを一度に見たことはめったにない)、とても採算は取れるまい。公演はたった1日で昼と夕方の2回だし。

察するに、国際交流基金が現政権のクールジャパン構想で引き出した補助金による東南アジアとの交流事業「響きあうアジア」の一環で、採算は度外視だろう。元イベント屋の私は、こうした「交流」はいったいどれだけ効果があるのかと思ってしまう。

数年前から映画祭でも舞台でも美術展でも、「国際交流基金アジアセンター」の名前が入った大盤振る舞いの企画をよく見る。オリンピックまでの時限措置で、中国、韓国を除く東アジアとの交流に何十億もの税金が投入されているようだ。招待されてすばらしい公演を見て言うのは気が引けるが、かつて6年も勤務した国際交流基金については、やはり正直に書いておきたい。

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