『日本統治下の朝鮮シネマ群像』の衝撃:その(3)
この本についてはいろいろ語りたいことがまだある。現在見られる日本支配下の朝鮮映画で一番の傑作が『授業料』(40)であることは、みんなの意見が一致している。この本によれば1940年代の、1940年代の朝鮮文壇人のアンケートで歴代1位が『アリラン』(26)、2位が『無情』(39)で3位がこの作品という。
もちろん上位2作品はフィルムが現存しないので、『授業料』が一番となる。そして今見ても十分に楽しめる。この映画は京城日報の「京日小学生新聞」で二等賞を取った作文が原作だ。
「企画」としてクレジットされて西亀元貞は当時29歳で「京城日報学芸部の記者だった。綴方を募集した京日小学生新聞の母体紙の社員である。東京帝大法学部を中退して、両親が住む京城に戻ってきた映画青年だ。邦画界における児童映画の流行と『京日小学生新聞』による綴方募集を、西亀は同時に知りうる立場にあった」
「意外に思われるかもしれないが、『授業料』(1940)は日本語が初めて本格的に登場した朝鮮映画である」。これは驚いた。『望楼の決死隊』(43)に朝鮮語が頻出するのは当たり前なのだ。
この映画にはいくつもの疑問があるが、まず小学校なのになぜ「授業料」が必要なのかと思う。この本では韓国で初等教育が義務化されるのは1953年からで、1939年には35.2%の進学率だったと説明されている。
この本で知ったが、この映画教室に出てくる小学校の教室の壁に張られた時間割に「鮮語」と書かれている。当時の国語=日本語が全学科に占める割合は34.97%、朝鮮語は8.75%なので、これは当然らしい。41年の第4次朝鮮教育令で朝鮮語がなくなる。「学校内では完全に日本語教育に近いが、学外で子供たちは朝鮮語を使った。そういう日本語と朝鮮語の二重言語状況が映画に映し取られ、総督府の検閲もパスした」
この本は、元となった小学生の作文を全文掲載している。実は作文を読んでも先生が朝鮮人なのか日本人なのかわからない。当時の文献を調べて実際は朝鮮人だったことがわかっているが、「これを脚本や映画では「日本人教師の田代先生」にしてしまった。この捏造が李創用らの映画製作者の意志に基づくのは明らかだ。彼らにとって『授業料』は、日本進出を図るための映画だったからだ」
実際はこの映画は日本では公開されなかった。理由も書いてあるが、ここでは省く。この映画が公開されていたら、当時の朝鮮映画に対する評価は一挙に高まっていたのではないかと思うと残念だ。
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