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2019年7月27日 (土)

『存在のない子供たち』の絶望的世界

今の日本にも問題はたくさんあるが、この映画を見たらそんなものは何でもないと思ってしまうだろう。レバノン出身のナディーン・ラバキ監督の『存在のない子供たち』のことで、まさに絶望的世界が描かれている。

冒頭に裁判のシーンが出てきて、少年が「私を生んだ罪で両親を訴えます」と叫ぶ。映画は時々裁判に戻りながら、そこに至った過程を見せてゆく。

中東の貧民街(どこの国とは出てこない)に住むゼインは、戸籍もなく学校にも行かせてもらえず、路上で物を売る。両親が11歳の妹を金持ちと結婚させようとするのに抵抗し、家を出てしまう。知り合ったエチオピアから来た子持ちの女、ラヒルと暮らしながら、その赤ん坊の世話をする。しかしある時ラヒルは逮捕され、ゼインは赤ん坊と暮らし始める。

最初は見ててつらいなあと思っていたが、何とかして生き延びようとするゼインの大人びた表情を見ているうちに、引き込まれてゆく。いつの間にか彼を住まわせるラヒルも不法労働で逃げ回っているのに、必死で子供を育てる姿が胸を打つ。さらにまだ言葉が離せない赤ん坊もその反応の一つ一つに目が離せない。

この映画のうまいところは、無計画に子供を産んで出生届も出さず、娘を金持ちに売るような両親にもある種の優しい視線を注いでいることだ。裁判で母親は裁判官に対して「こうするしかないのよ」「あなたたちに何がわかる」と叫ぶ。

裁判の女性弁護士を除くと全員が素人というが、まさに実際を演じている感じ。そのこともあって全編がドキュメンタリーのように見えるが、強烈な場面ではスローモーションにしたり、強い音楽を入れてエンタメとしても2時間5分飽きさせない工夫がなされている。最後にラヒルに少しだけ救いがあるのもいい。

カンヌで『万引き家族』がパルムドールを取った時に審査員特別賞を取っているが、内容だけからすれば何倍も過酷だ。

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