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2019年8月 9日 (金)

エミール・ギメの見た日本

フランスのエミール・ギメが1880年に書いた『明治日本散策 東京・日光』を岡村嘉子氏の新訳で読んだ。エミール・ギメは今ではパリの国立ギメ東洋美術館の創始者として名前を残しているが、私は昔からリヨン生まれというのが気になっていた。リヨンはリュミエール兄弟が生まれ、シネマトグラフを作り出した都市である。

リュミエール兄弟は世界中に若いカメラマンを送ったが、アジアは仏領インドシナを除くと、日本のみ。日本にはカメラマンを2人も送り、33本の映像が残っている。

私の仮説は、リュミエール兄弟が帰国したエミール・ギメにリヨンで接触をしていたのではないかというものだ。京都で創業した高島屋が19世紀末に海外の最初の支社を開いたのも、リヨンだった。絹織物の産地だったからだろうが、当時のリヨンではギメの存在もあって日本が流行っていたのではないか。

さて『明治日本散策』を読むと、いくつかのことに驚く。ギメが来日したのは1876年だから、今から150年近く前になる。ギメが描く明治初期の日本は、何とのどかで別世界だったのだろうかということ。それからギメは目にする日本の文化に対して、基本的に礼賛の目で見ていることだ。

そして始まったばかりの西洋化を批判する。同じような文章は、それから何十年にもわたってフランス人が書く日本旅行記で読んだ気がするが、ギメが元祖だったのかもしれない。

この本の冒頭では、案内するはずのフランス人が日本人を「無知で不潔でけち」と言い、日本は「輪郭線も水平線もない、ぱっとしない国」とけなすのを無視するシーンがある。ギメはこの本にデッサンを寄せているレガメと同行しており、目にする光景や人々を絶賛する。そしてそのシンプルな生き方を古代ローマ人と比較する。

この本には、日本を解説するためのいくつもの「物語」が組み込まれている。品川で下車し泉岳寺に着くと、赤穂浪士の物語が語られる。おそらくガイドによって語られた物語をわかりやすく書き起こし、レガメは事件を描く絵を模写する。そして「この作品は仇討ちに目がない日本人が抱く憧憬に、見事に応えうるものであった」

街を歩くと「私たちは数多くの店も見たが、そのほとんどが古道具屋である。日本はこまごまとした置物と骨董品の国であるよく聞いてはいたが、まさか十軒中九軒が小道具屋であるとは、思いもよらないことであった」。実は今のフランス人も日本で骨董屋を見つけると、必ず入りたがる。やはり変わっていない。

こんな具合にのどかな旅は続く。まだ安政の不平等条約ができて10年ほどの頃だが、フランス人が日本を見る目は今も昔も変わっていない、とも思った。

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