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2019年8月18日 (日)

『東京裁判』についてもう一度

『東京裁判』について書き足りないので、もう一度書く。この映画は途中で10分の休憩があるが、前半の山場はやはりブレイクニー弁護士の原爆を落とした者も裁くのかという発言だが、後半はオーストラリアのウェッブ裁判長とアメリカのキーナン首席検事との政治的駆け引きとなる。

ウェッブ裁判長はあくまで天皇の戦争責任に踏み込もうとするが、天皇を日本の戦後政策に利用しようとするマッカーサーの意向を受けたキーナン検事はそれに反対する。

この裁判は1946年の5月3日から48年の4月15日まで審議され、11月4日に判決が言い渡された。2年間の審議は「満州段階」「中国段階」「日独伊段階」「太平洋戦争段階」「残虐行為段階」などに分けて17年間の各段階の罪状を告発し、公判は900回、証人は400人を超す。

つまり1928年から裁いたわけだが、冒頭の玉音放送では昭和天皇は対戦相手を欧米とし「交戦すでに四歳をけみし」と真珠湾攻撃以降しか考えていないことと対照的だ。それはさておき、裁判中にいくつものできごとが起き、その映像が挿入されてゆく。

47年10月11日にドイツの戦争犯罪を裁くニュールンベルク裁判が終結し、多くの死刑が宣告されたことが克明に見せられる。11月3日には日本国憲法が公布され、天皇は「象徴」という形で位置付けられた。

またその間にインドの独立運動、ソ連の日本兵の抑留、エリザベス女王の結婚、ガンジー暗殺、国内の多くのデモや兵隊の帰国などの映像が挟み込まれる。何といってもニュールベルク判決が大きいだろう。

47年9月10日から被告の反論「個人反証段階」が始まるが、広田弘毅ら8名はそれを拒んだ。東条英機はこの戦争は自衛のためのもので国際法に違反しないと言いながら、敗戦の責任は自分にあると述べた。ところが「日本国の臣民が陛下のご遺志に反して、かれこれすることはありえない」と言ってしまう。これでは天皇の戦争責任を肯定することになるので、慌てたキーナン検事は翌日を休廷にし、東条に根回しをする。

そして「開戦は天皇の意志に反した」などの発言を取り付けた。ウェッブ裁判長は不満で途中でオーストラリアに帰ったりするが、結局マッカーサーに呼び出されて、天皇の不起訴に同意した。

映画は判決の瞬間を全員写す。そしてさらに戦後のいくつもの戦争を見せ、ベトナム戦争で逃げ回る裸の子供たちの有名な写真で終わる。全体に説明し過ぎだし、裁判以外の映像が多すぎだと思うが、それでも映像でしか伝わらないものがある。

被告たち、傍聴席の家族(東条の妻や子供たちも)、中国の「ラストエンペラー」溥儀など、出てくる顔を見るだけで衝撃がある。そして4時間半も見ていると、不思議なことに東条を始めとして被告たちがまともに見えてくる。

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