『黒澤明の羅生門』に考えたこと
ポール・アンドラ著北村匡平訳の『黒澤明の羅生門』を読んだ。ポール・アンドラ氏はコロンビア大学で日本文学を教えているが、3年前に一度会ったことがあった。その時にこの本を書いていると聞いていた。
今回読んで、不意打ちを食らった気分になった。副題は「フィルムに籠めた告白と鎮魂」だが、まさにその通り『羅生門』を始めとして黒澤の映画には、彼の実人生での出来事が克明に刻まれているというものだから。
私は長い間、「読解」という概念に囚われていた。映画に限らず、文学も美術も、評論家や研究者がなすべきなのは作者の「意図」を探ることではなく、作品を自由に読み解くことだと信じてきた。
特に文学に対して、たぶん高校生までは、作者は何を言いたいのか、作者がこのような作品を書いたのはどういう背景があったからか、などを探ることが一番重要だった。それが大学生になって、読者は自由に読んでいいと知って、嬉しかった。
それが私の中で今まで40年近くも続いてきた。『黒澤明の羅生門』は、黒澤映画をその実人生から読み取ろうとする。そのベースとなるのは、まず黒澤明の自伝『蝦蟇の油 自伝のようなもの』である。加えて植草圭之介の『けれど夜明けに―わが青春の黒澤明』を始めとして、当時の新聞記事などから浮かび上がる黒澤明の生涯にわたるいくつもの事実である。
そのようにして『羅生門』を始めとする黒澤明の映画から第一に見えてくるのは、兄の丙午の存在だ。丙午はロシア文学を始めとして文学に傾倒し、多くの外国映画を見て明に影響を与えた。その後無声映画の人気弁士、須田貞明となり、トーキーが始まって一九三三年に二七歳で自殺する。著者は黒澤映画の死の場面に丙午の影を見る。兄ばかりではなく、その前に死んだ姉や兄の死を嘆いた母の姿を見る。
さらに兄が連れ立って見せてくれた一九二三年の関東大震災と一九四五年の二つの廃墟が黒澤の映画を特徴づけるとする。また『羅生門』の原作となる2つの小説を書いた芥川龍之介の作品とその自死が黒澤の作品に影響を与えたという。あるいは漱石の影響について語る。そして兄が弁士として語ったドイツやアメリカやソ連のサイレント映画の影響を述べる。
読んでいて、まるで探偵のような愚直な追及に感動した。この本については「週刊読書人」に詳しいさらにくわしい書評を書いたので、近日中に掲載予定。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『近現代歌集』とは(2026.05.12)
- 漱石の「個人主義」(2026.04.28)
- 『過疎ビジネス』に蝕まれる日本(2026.04.14)
- 椹木野衣『戦争と万博』の世界観(2026.04.02)
- 『アルジェリア戦争』を読む(2026.03.29)
「映画」カテゴリの記事
- イタリア映画祭も数本:続き(2026.05.14)
- 「イタリア映画祭」も数本(2026.05.04)


コメント