オダギリジョーの『ある船頭の話』に驚く
9月13日公開のオダギリジョー初監督作品『ある船頭の話』を試写で見た。ベネチア国際映画祭の「監督週間」に出品されるが、コンペでもありえたのではないかと思うほど志の高い映画で驚いた。
感じとしては、外国のそれなりの監督が日本を舞台に撮ったような出来上がりだ。およそ今の日本の観客にウケることを考えず、「近代日本への懐疑」といった大きな哲学的テーマを、華麗な映像でじっくり見せている。
まず説明がないので、場所も時代もわからない。トイチと呼ばれる老いた船頭(柄本明)がいて、大きな川の両岸の人々を舟で運んでいた。舟を利用する人々はおおむね彼に親切だったが、近くに橋を建設中の技師のようにバカにする者もいた。
ある時、舟に一人の女の子(川島鈴遥)が流れて来る。とりあえず拾ってあばら家に住まわせるが、最初は口もきかず、不思議な存在だった。近くの橋は完成に近づき、トイチの船頭としての仕事は終わりに近づく。
ほとんどの画面にトイチが出て、舟をゆっくり漕いでいる。朝だったり、夕日が照っていたり、雨が降ったり。最後には雪のシーンもあるる。トイチが一番話すのは若者の源三(村上虹郎)で、彼は時々食材を持ち込んで、トイチと食べる。流れ着いた女の子もだんだん話すようになる。あるいは何度か舟に乗る町医者(橋爪功)や、老いた父の世話をするマタギの青年(永瀬正敏)。
そのほかにも、伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優、笹野高史、草笛光子、細野晴臣といった芸達者たちが、舟の客としてほんのチョイ役で出てくる。それぞれが流れる川の流れの中に人生のある断面をくっきりと見せる。クリストファー・ドイルのカメラが千変万化の川の表情を驚異的な美しさで見せているが、それが映画のテーマそのもののようだ。
外国の監督のようだと書いたのは、撮影以外にも衣装デザインがワダエミ、音楽がティグラン・ハマシアンというアルメニア人ということもあるかもしれない。それを海外での撮影経験も豊富なオダギリジョーが、妥協なしに統率してゆく。
最初は時代もわからないが、人々の話や服装からたぶん明治時代後半だろうとわかってゆく。そして変わりゆく時代への怒りと諦念が、変わらない川の流れの前に忽然と現れる。
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