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2019年8月28日 (水)

今頃読む『映画を撮りながら考えたこと』

是枝裕和監督の『映画を撮りながら考えたこと』をようやく読んだ。この本が出たのは2016年6月だから、もはや3年前。話題にはなっていたが買うことがなかった。先日本屋で見たら装丁がいい感じの手触りで、思わず買った。

読んでまず思ったのは、極めて聡明な書き手だということ。自分がいいたいことを言いつつも、あらゆる配慮をする。主として映画作りについて語りながら、自分の出身であるテレビについてもしっかり触れる。

さらに世界の映画祭について、日本が目指すべき映画祭について、国の映画への助成について、映画学校についてなど、日本の未来を見据えた考えも示す。それも強く主張せず、さらりと貴重なことを言う。

是枝氏は私と同世代。彼は東京出身で私は九州の田舎育ちなので環境はかなり違うはず。それでも見た映画とかテレビなどはかなり共通しているから、同じような監督を尊敬している。短い人生の間に驚異的成熟を遂げたエドワード・ヤンや『悲情城市』のような傑作の後に変容を続ける侯孝賢を尊敬し、一方でエリック・ロメールやクリント・イーストウッドのような例外的に長いキャリアの監督にも驚きを隠さない。

これは是枝氏が大島渚監督の「ひとりの作家がひとつの時代に意味を持ちうるフィクションをつくれるのはたかだか十年だ」いう言葉を引用した時の話題。私は大島渚にそんな言葉があるとは知らなかったが、実はよく授業で「イーストウッドのような例外を除くと、監督の一番いい時代は十年だ」ということがある。

「黒澤明、侯孝賢、ベルナルド・ベルトルッチ、アレクサンドル・ソクーロフなどを見なさい。天才監督の傑作はだいたい十年間に集中しているから。映画は美術や小説と違って一人では作れないし、莫大なお金がかかるので、監督が自分の作りたいものを作り続けるのは容易ではない」。私はだいたいこんな話を1年生にする。

作り手の是枝氏はこのことを自分に問いかける。「果たして僕はその「十年」をもう経験してしまったのか?いま何年目なのか?まだ訪れていないのか」。彼は自問自答しつつも、「イマジネーションが自分の内部に枯渇して撮れなくなるという心配は、実は全くしていません」

後書きに自分のことを「本当にめぐまれていたなとしみじみ感じます」と書きながら、「映画監督は本当に体力勝負なところがあるので、五十代でしか撮れない規模のものはこの五~六年の間に撮っておきたい。もしできなかったら、同じ題材を六十代で別の切り口で撮るかもしれない。ホームドラマははたぶん七十代のおじいちゃんの目線でも、また撮れるかもしれない」

この本を書いてから3年たったが、まだこのやる気満々状態は続いているのではなないか。この本については再度書く。

 

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