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2019年8月 8日 (木)

『ディリリとパリの時間旅行』の摩擦感

8月24日公開のミシェル・オスロ監督のアニメ『ディリリとパリの時間旅行』を見た。1900年頃の「ベル・エポック」のパリにニューカレドニアからやってきたハーフの少女ディリリが、パリで出会った友人のオレルと共にパリを巡り、誘拐事件を解決する。

パリの風景はほとんど写真に写る実際のパリに近いが、人物は極端に単純化されている。服装はベタ塗りで、動きも少ない。つまり実際のパリを紙で作った模型が動き回る感じといったらいいのか。フランスの漫画であるバンド・デシネのような感じで、ショットは抜群に美しいが動きは細かくない。まるでペラペラの紙に描かれた人物を自在に動かしてコマ撮りしたかのよう。

そのうえ、ニューカレドニア来た女の子ディリリが、キュリー夫人、ピカソ、ロートレック、プルースト、サラ・ベルナールといった有名人と出会いながら、「男性支配団」によって誘拐された少女たちを救うという内容。華やかなパリが一種のファンタジーによって再現される感じで、見ていて最後まで楽しい。室内やレストランのアール・ヌーヴォーの建物や家具に至るまで豪華絢爛。

それなのに、どこか強い摩擦感がある。最初のシーンは南国の楽園のようだが、実は1900年のパリ万国博覧会で、庭に設けられた「人間動物園」。着飾った紳士淑女の前で、「楽園の人々」を演じている。これは実際に当時のパリにあったもので、日本でも明治時代の博覧会ではアイヌや沖縄の人々の「展示」があった。

ディリリはハーフで母親がニューカレドニア人で父親はフランス人のようだから、パリにやってきた。身ぎれいな身なりで、現地でフランス人に習ったいかにも教科書的なフランス語を話す。その礼儀正しさがどこか痛々しい。

「男性支配団」とは、少女たちを誘拐して四つ足で歩く訓練をさせ、自分たちの椅子やテーブルに使う人々。女性運動の高まりを嫌うマッチョな男たちだが、少女を集めて顔を伏せさせ動物のように四つ足で歩かせるという発想が妙に病的だ。

植民地主義と男女差別という20世紀の人類のマイナスの歴史を物語の中枢に据えて、それでも明るく楽しいベルエポックのパリを描くのだからすごい。最後に少女たちを乗せた飛行船がエッフェル塔のそばに着くと、思わず拍手をしたくなる。楽しませて考えさせるアニメの見本のような作品。

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