『人間失格』に思うこと
蜷川実花監督『人間失格』を見た。実は7月末に試写で見ていたが、あまり好きではなかったのであえて公開後にアップすることにした。確かに蜷川実花の世界が炸裂している。『へルタースケルター』から美術を担当するenzoは、この世とは思えない艶やかな世界を作る。
さらに『万引き家族』の撮影の近藤龍人と照明の藤井勇が加わって、人の動きや気配を流麗なカメラでじっくりと見せてくれる。極彩色の花や真っ白の雪に囲まれて、実力派女優たちが存在感を見せる。
なかでも、最後に太宰と心中する山崎富栄役の二階堂ふみが抜群によかった。妻の美知子役の宮沢りえや愛人の静子役の沼尻エリカの役柄が落ち着き払って堂々としていた分、二階堂のせっぱつまった激情の表出が実に自然で迫力があった。もちろん宮沢りえにはこの女優ならではの諦念を抑えた妖艶があり、沢尻エリカにも彼女だけが出せる自由奔放さが溢れていた。
それに比べると、総じて男優の存在感は薄かった。個人的に一番弱いと思ったのが主人公、太宰治役の小栗旬。どこか「作家」とは違う感じで、彼のあらゆる行動がうわべだけに見える。この男がじっと机に座って小説を書くとはとても思えない。わざとそのような演出をしたのだろうが、太宰好きの私にはピンと来なかった。
さらに太宰の同志である坂口安吾を演じる藤原竜也も全体に大げさで作家には見えない。彼らがバーで飲んで騒ぐ場面が何度も出てくるが、出てくる俳優も行動もあまりにたわいない。男優の中では編集者役の成田凌と三島由紀夫役の高良健吾が、その役らしさを出していた。特に高良健吾は将来の大作家を思わせる感じでおかしい。
私は『ヘルタースケルター』はかなり好きだった。今回もそれと同じような極端な世界に生きるはみ出し者たちを蜷川実花流の極彩色で描くが、比較するとドラマが弱すぎるのでは。ある文学者が小説を書きながら妻と愛人の間を右往左往するだけで、あとはひたすら男たちの宴会のシーンが続く。
もちろん、「蜷川実花の世界」という点ではその通りだが、今回は映画より美術が勝ってしまった気がする。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 25年目のイタリア映画祭:その(3)(2025.05.13)
- 25年目のイタリア映画祭:その(2)(2025.05.09)
- 『エリック・ロメール』を読む:その(1)(2025.05.07)
- 25年目のイタリア映画祭:その(1)(2025.05.03)
コメント