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2019年10月31日 (木)

それでも東京国際映画祭に行く:その(2)

結局、今年もコンペを中心に見ている。初日にラヴ・ディアス監督の『停止』を見たので(セクションはなぜか「クロスカットアジア」)、何を見ても凡庸に見えてしかたがないけれど。既に4本見たが、とりあえずまともなものから書く。

イタリアのヌンティア・デ・ステファノ監督の『ネヴィア』は、最初にプロデューサーとしてマッテオ・ガローネ監督の名前が出てくる。確かにナポリ郊外の何もない殺風景な街並みの切り取り方は、ガローネに近い。

物語は、17歳のネヴィアが妹と祖母と共に暮らす日々を描く。祖母は売春や麻薬の売買に関わっており、家を売春に使う時は子供たちを「おばちゃん」の家に行かせる。ネヴィアを気に入っている青年、サルヴァトーレは父親と麻薬の仕事をして金回りがいい。

周囲のすべてに嫌気がさすネヴィアは、ある時ひょんなことからサーカスの人々と知り合い、カバや馬など動物の世話の仕事を始める。彼らのまともな生き方に共感を覚えるが、周囲はやめさせようとする。ある日売春の摘発で自宅に警察が来て、ネヴィアはすべてを捨てて妹を連れて家を出る決意をする。

ネヴィアの目から見た世界がリアルに描かれる。救いはサーカスの一団との出会いで、この場面は本当に見ていて嬉しくなる。そして最後のネヴィアの出発もファンタジーの要素があってうまい。最初のトラックから見た風景からラストのバスまで繊細でうまいのだが、ガローネのような驚きはなく、小粒にまとまった感じ。初長編なので、次作に期待というところ。

『アトランティス』を監督したウクライナのヴァレンチン・ヴァシャノヴィッチ監督は、『トライブ』のプロデューサー兼撮影監督なので、期待していた。舞台は近未来の2025年のウクライナで、大戦争から1年後。かつて元兵士でスナイパーだったセルヒーは、戦死者の死体を掘り出す活動のために水を運ぶ仕事をしている。

荒れ果てた工場、家、畑の中から死体を掘り出す人々。かつて考古学を研究していたカーチャもその1人でセルヒーと知り合い、「土を掘るのは同じ」と言う。死体の確認作業がすさまじい。半年前とか1年前の死体もあり、衣服など残されたものを記録してゆく。ロシア軍の兵士もウクライナ軍の兵士もいる。

カメラはたぶんすべて固定で長いショットが続く。最初は眠りそうになったが、見ているうちに寒々とした光景と人間の姿が迫ってきた。このような設定と演出を決めた作戦勝ちという気もするが、近未来ディストピアとしてはなかなかの出来だろう。

この2本はかつて「朝日」でやった星取表方式で点数をつけると3点だが、いずれも「アジアン・プレミア」なので欧米の映画祭で上映済み。

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