『この世を生き切る醍醐味』の内田裕也
樹木希林のインタビュー、『この世を生き切る醍醐味』には、夫の内田裕也の話が時々出てくる。1973年に結婚して同居したのは3カ月もないのに、死ぬまで夫婦だった。樹木希林は内田裕也と結婚する前に岸田森と結婚していたが、内田はそれに触れると怒った。
「「結婚が2度目だなんていうのは、オメエが言わなけりゃ、誰にも分かりゃしねえんだ」って」
「自分はね、いろんな女の人とねぇ、浮名を流しているでしょ。でも、その割には、ずいぶん嫉妬深いんですよね。だからね、私と内田と、どっちが先に死ぬかが分からないからね。まあ、向こうが先に逝ってくれれば、それはもう、全然平気で何でも話せるんですけど、なかなか逝ってくれないじゃない?」。
「でもね、会うでしょ、もうね、お互いに言いたい話がたまってるわけよ。でね、もう両方でべらべらとしゃべっちゃうの」
「「ちょっとちょっと、もっと俺にしゃべらせろ」と内田が言うから私も「今しゃべらないと忘れちゃうから」ってね。「おっ、それは面白え、それで俺はな」っていう具合で、気がつくと、とにかく延々しゃべってる。それで内田がね、「おい、周りを見てみろよ。どの夫婦もぜんぜんしゃべってないぞ、世の中の夫婦は会話がねえんだなぁ」って言うの。だから「毎日一緒にいりゃあ、会話もなくなるでしょう」ってね」
2人は同じ墓に入るという。「あの世では同居されるんですね」と聞かれて「そうね。でも、ほら、骨だから。そんな、もうしゃべるわけじゃないから。ムカッとすることもないでしょう」。結局、内田は樹木希林の半年後に追うように亡くなった。
この本には終わりに娘の内田也哉子のインタビューが付いている。そこでの内田裕也の話もおかしい。也哉子がスイスの高校を卒業した時、両親と3人で最初で最後の旅行をした。
「父は60年代に1人でパリに住んでいたことがあって、その時の思い出の宿や、よく通ったレストランとかを見せて回りたくて。でも何十年も経ちすぎて、もうなくなっていたり、見つからなかったりするわけですよね。そして、5分もすると、父が揉め事を起こすんです。/「あのウェイターの態度が気にくわねぇ」とか言ってね。下手な英語で「ファッキン、ファッキン」って言って」
パリのカフェで奇態な格好をした内田裕也が長い白髪をなびかせて、ウェイターに毒づいているシーンを想像するだにおかしい。「父はすっごく怖がりなんです。だから「俺を見下してるな」って思った瞬間にワッと「自分は大きいんだ」と威嚇したくなっちゃうんです」
私にとって内田裕也は、たまに映画やテレビで見るたびになぜか嬉しくなる存在だった。数年前のフィルムセンターの崔洋一特集で、本人が客席に座っていた時は心が躍った。彼についてもっと知りたい。
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