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2019年10月22日 (火)

ビデオのない時代には

1960年代から70年代にかけてのフランスの伝説的なテレビ番組に「われらの時代のシネアストたち」があった。フリッツ・ラングにゴダールがインタビューするという類で、一部は日本でも上映された。そのプロデューサーがアンドレ・S・ラバルトで、彼は80年代末からはArteアルテという文化専門の放送局で「われらの時代のシネマ」という題で再開した。

その1本として2014年に作られた「ジャパンスコープ」という1時間の映像を見る機会があった。冒頭と終わりに昨年亡くなったアンドレ・S・ラバルトが出てきて話す。監督はフィリップ=エマニュエル・ソルランで、編集を担当した渡辺純子さんがリンクを送ってくれた。

この映像は、1990年以降の日本映画を「ピンク」「立教」「サイバーパンク」の3つの流れに分けている。「ピンク」は佐藤寿保と瀬々敬久、「立教」は黒沢清と青山真治、「サイバーパンク」は塚本晋也と石井聰互(岳龍)のインタビューからなる。フランスで有名な是枝裕和と河瀨直美はこのどれにも入らないのではと思ったが、映画の途中でこの2人には会えなかったことがナレーションで語られる。

最初に監督と思われる男が刑務所から出てきてアンドレ・S・ラバルトと再会したり、時々「ヌーヴェル、ヌーヴェル・ヴァーグ」というしわがれ声が入ったり、いささかわざとらしいが、私には黒沢清監督の言葉が心に残った。

その内容を要約すると、以下の通り。今はDVDがあって見たい映画はいつでも見られるが、自分が大学生の頃はVHSもなかった。だから見たい映画は映画館に行くしかなく、その時は全身全霊であらゆる細部を見のがなさいように見た。見終わると、友人とえんえんと語り合った。「あのシーンはこう撮っている。嘘だと言うなら、自分で8ミリで撮って見せよう」という具合。

映画を見ることが語ることに通じ、それはそのまま作ることにつながった。今のDVDを見る若者にはその真剣なひとつながりの行為はわからないのではないか。確かに今の大学生を見ていると、ある作品や監督について熱狂的に語ることが少ないように思う。映画をたくさん見ている学生も、そうでない学生もそれは同じ。見ることと作ることは別ものになった。

私の場合は、学生時代に映画が終わるとよくメモを取った。とりわけパリにいた時は、もう一生見られないと思って、帰りの地下鉄ではいつもノートにメモをしていた。すばらしい場面やショットや編集をとにかく文章にしていた。それが役に立ったかはわからないが、私は作る方には行かなかった。

黒沢清監督は蓮實重彦氏の授業を聞いて、「映画は一生をかけるに値するものだ」と悟ったという。そういう風に学生に思わせるにはどうしたらいいのだろうかと、思わず考え込んだ。

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