30年目の山形:その(1)
また山形に来た。もちろん国際ドキュメンタリー映画祭に参加するためで、何と今年で30年目という。第一回の1989年は、確か竹下首相の「ふるさと創生事業」という各市町村に1億円を配るという信じがたい政策によってうまれたはず。市政百周年でもあった山形市は1億円でドキュメンタリー映画祭をやることにした。
私は1989年には行っていない。最初に行ったのは1991年で、それから95年まではフランスからのゲストの招聘やカタログの翻訳などの手伝いをしていた。その後も、2年に一度、年によってはわずか2泊のこともあったが、山形行きを続けている。
コンペはどれもそれなりに見ごたえがあるし、年によっては特集がすばらしいこともある。だからといってわざわざ2年に一度律義に通うのは、ほかにも理由がある。一番は映画好きの仲間が集まるということだろう。
映画関係の仕事をしているからといって、映画好きとは限らない。山形に集まる連中は心底映画好きばかりで、2年に1度顔を見ると嬉しくなる。かつては30歳前後の働き盛りだったのが、今や60歳前後の白髪交じりとなった。配給会社、制作会社、宣伝会社、映画館、映画祭関係、新聞記者、映画ライター、大学教員など仕事はいろいろだが、この30年間、映画好きを続けてきた人たちだ。
かつては「日米映画戦」や「クリス・マルケル」など特集を中心に見ていたが、最近はあまり考えずにコンペを見る。今年は1日目にして4本も見たが、なぜかどれも「移民」「難民」をテーマにしたものだった。
アフガニスタン出身のハサン・ファジリ監督『ミッドナイト・トラベラー』は、アフガニスタンでタリバーンに死刑宣告を受けた映画作家夫婦が2人の子供を連れて亡命してゆく3年間を描く。撮影に使ったのは3個のスマートフォンと言うが、十分に大きなスクリーンに耐えられる映像だ。
アフガニスタンからトルコ、ブルガリア、セルビアを経てハンガリーへ。密輸業者に大金を払ったが、途中で追加料金を請求される。森の中で2週間を過ごしたり、各地の難民キャンプに行ったり。ハンガリーで入国審査を受けるが、トランジット・ゾーンに待たされること3カ月。ようやくEUへの入国許可が出たところで映画は終わる。
生きるか死ぬかという状況でも、怒ったり、泣いたり、笑ったりの家族の毎日を撮り続ける。スマホがあればいつでもどこでも映画は作れるようになった。
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