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2019年10月13日 (日)

30年目の山形:その(2)

昨日は東京に台風が上陸して山形も大雨だった。そんな中で映画ばかり見るのはどうかと思ったが、映画祭だとほかにすることがないし、映画を見ている分には雨には濡れない。朝10時から、中国の王兵(ワン・ビン)の8時間15分の『死霊魂』を見た。

このドキュメンタリーは、中国の1958年から61年までの反右派闘争で粛清されてゴビ砂漠に送られた人々へのインタビューからなる。だから80代の老人ばかりで、なかには97歳でベッドで「死にたい」と言っていた男もいた。

この監督はかつてこの題材で劇映画『無言歌』(2010)を撮っている。私は「反右派闘争」というものをこの映画で知った。これは、夾辺溝に送られて死んだという通知を受けた妻が、遺骨をもらいに行く話だった。

今回はそこで生き残った人々の話だが、わかりにくい。多くは各地の公安局長が扱いにくい人々を右派に仕立てて、夾辺溝や明水の収容所に送り込んだらしい。そこでは地下に掘った穴の中で生活をし、餓死する者が多かった。死体を食べることもあったという。

彼らは収容所から戻っても、20年以上「右派」として冷遇された。ある男は監督に「あなたが撮影に来たことは当局にバレている」と話す。別の男は死んでいった人々の名前を次々と思い出す。途中、生き残った老父の葬式が出てきたり、明水の収容所跡で現在暮らす人々が話したり。明水には今もあちこちに白骨が転がっていた。

3時間弱で「第1部」が終わった。45分休憩で近くでラーメンを食べたが、いろいろ考えてこれは第1部のみでやめて、山形大学に向かった。映画祭の公式プログラムではないが、「幻灯の映した昭和」という上映があったから。

なぜそれを見たかったかというと、1つは戦後も教育や労働運動などで幻灯が普及していたことに前から興味があった。もう1つは三井三池争議の幻灯があったから。前にもここに書いたが、私の故郷は三井三池炭鉱の城下町で、父はそこで石炭を入れる藁や紙の袋を製造する会社を経営していた。

幻灯はスライド式かと思っていたら、35㎜フィルムを水平に一コマずつ移動させるもの。すごいのは、鷲谷花さんほか研究者たちが弁士のように台本を朗読することで、労働者たちの団結の声から子供の応援、労働者の歌までも朗々と語る。『三池炭鉱首切り反対闘争の記録 地底の怒り』(1954)は「英雄なき113日の闘い」と呼ばれた闘争を描き、労働者が指名解雇案の完全撤退を獲得するまでを見せる約1時間。

『三池血の闘い この暴虐を許すな』(1960?)は、「総労働対総資本」と呼ばれた三井三池闘争を15分ほどで描く。資本側が右翼や暴力団を使った様子がいくつものコマに写っている。これは三井三池のみを描いた唯一の作品で、私は泣きそうになった。

そのほか15分ほどの『失業と合理化問題ーボタ山の火を消すな』(1959)と望月優子監督の40分ほどのドキュメンタリー映画『ここに生きる』(62)。写真を連続して見せるだけの幻灯に語りが加わることで、今でも十分に鑑賞に耐えることに驚いた。

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