« 『ひとよ』の田中裕子の強さ | トップページ | 30年目の山形:その(1) »

2019年10月11日 (金)

とうとう「あいち」に行く:その(2)

10時過ぎの愛知芸術文化センターは、さすがに混乱していた。1階に着いて警備員に「整理券の配布はどこですか?」と聞くと、「わかりません。10階で聞いてください」とのこと。この建物は通常は12階が映像ホール、10階が県立美術館、8階が貸しギャラリーでその下が劇場のはず。

10階に着くと、入場券を求める人の列と「不自由展」の抽選券のために並ぶ列が混乱しており、さらに大きなカメラを持ったマスコミが数組混じっていて騒然としていた。「抽選券を配るのは13時からです。あちらに説明があります」と聞いて行くと、50メートルほど向こうの壁に「「表現の不自由展 その後」鑑賞の流れ」というパネルがあった。

その前に十人ほど集まっていた。13時から13時30分まで抽選受付をして40分に抽選、14時から30名のみ公開。年配の方が「字が小さくて読めない」と文句を言っていたが、スマホで撮って拡大していた。私は14時から見るのでは東京の夕方の授業に間に合わないので、諦めることに。

10階、8階の順に見た。それぞれの階が通常の展覧会の2倍はある。名古屋市美術館を加えると相当の展示面積で、これで1日券1600円は相当に安い。加えてこの日からは、「不自由展」の閉鎖に抗議して展示を中止していた作家の作品もすべて見られたのだから。

全体を見た印象で言うと、メッセージ性の強い作品が多く、見ごたえがあった。ジェンダー、格差社会、植民地主義などのテーマに正面から切り込んだ作品が目立って、確かに津田大介氏が語っていたカッセル・ドクメンタを思わせる「政治性」があった。

欠けていたのは、展示としての見栄えというか、核になるような作品が少なかったことか。あえて言えば色鮮やかなピエロがさまざまな格好をした様子を45体並べたウーゴ・ロンディノーネだろうか。この作家は既に横浜トリエンナーレで2回見た気がするが。

横浜トリエンナーレでは、毎年こうしたスター的作家を数人は入れているが、今回の「あいち」は国内も海外も私が名前を知っている作家がほとんどいなかった。たぶこれはあえてそうしたのだと思う。美術が専門でない津田氏だからこそ、テーマを伝えてキュレーターに自由に動いてもらったのではないか。キャプションを見ても、私より年上の作家はほぼいなかった。

会場はほかにも市内に駅近くに散在していたし、電車で1時間の豊田市美術館にもあったが、時間的にも体力的にも1日ではこれが限度。1600円でたっぷり楽しんだ。数々の議論を巻き起こした「あいちトリエンナーレ」だったが、実際に見ると拍子抜けするくらい普通におもしろい現代美術展だった。

|

« 『ひとよ』の田中裕子の強さ | トップページ | 30年目の山形:その(1) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『ひとよ』の田中裕子の強さ | トップページ | 30年目の山形:その(1) »