『全身翻訳家』を読む
昔、「翻訳家」に憧れたことがあった。小説家にはなれなくても、外国語を勉強したら翻訳ならばできるかもしれないとなぜか思った。高校までは英語は得意だったし、大学ではフランス文学科に進んだ。
フランス語はかなり勉強したし、1年間留学までしたので「それなり」に読み書きと会話ができるようになった。一年だけ行った大学院や働き始めた頃は、翻訳したいフランス語の本がいくつもあった。出版社の方と知り合うと、いくつも提案した。
それから10年ほどがたち、34歳の時に映画初期の監督、ジョルジュ・メリエスの伝記『魔術師メリエス』を出した。その時の苦労というか辛さは筆舌に尽くしがたく、自分が全く翻訳という仕事に全く向いていないと悟った。2度と翻訳はしないと決めた。
だから鴻巣友季子さんのように、J・M・クッツェーのような現代文学からヴァージニア・ウルフやマーガレット・ミッチェルまで何十冊も訳している「翻訳家」は本当にすごいと思う。新聞で読んだエッセーが抜群におもしろかったので、彼女の『全身翻訳家』を読んだ。
彼女は私と同世代なので、昔の話はよくわかる。中学生のころ話題になった『ぼくを探しに』という絵本についての話がおもしろかった。
「自分を探すなんていうのは、現実にすることではなく、文学のなかの出来事であり、暗喩だった。そう、八〇年代ぐらいまでは「自分探し」ということばがまだ文学的効力をもっていたのだ。…今日びの新人作家がインタビューでそんなことを言ったら秒殺されるだろう。この二十年間で「自分探し」なるフレーズが、いかに価値を下げたかわかる」
確かに「自分探し」は、21世紀になってからは聞かなくなった。バブルが崩壊してからは自分を探す余裕がなくなったのではないか。「本当の自分」を探す暇があったら、生きてゆくための金や仕事を見つけるようになったのか。
『風と共に去りぬ』には、ラストに「明日は明日の風が吹くのだ」というスカーレット・オハラのセリフがある。英語はTomorrow is another day.だが、この本ではその訳がいつから始まったかを探索する。実は最初の翻訳が出たのが1939年で、原著からわずか3年。「まったく、翻訳大国ならびに翻訳スタミナ国であります」
その時の大久保康夫の訳は「明日はまた明日の陽が照るのだ」で、かなり近い。かつて帝劇ミュージカル版に脇役で出た黒柳徹子は鴻巣さんに言った。「『明日は明日の風が吹く』なんてヘンじゃない?決め台詞っぽくないし、江戸職人みたいだわ」。著者は「頭の中でスカーレットがねじり鉢巻きのイメージになって困る」と書く。
そんな感じで楽しいのだが、小学校4年の時に近所の英語教室に初めて行った時の話がいい。「ピアノもバレエも三味線も絵画も書道も、自分のものだという気がしなかった。でも、この英語というものはわたしに合っている、私は英語が好きだ。はっきりとそう感じた。その日、陽の暮れるまで先生のお宅から帰ろうとしなかったことをはっきり憶えている」
そんな瞬間が自分にはあっただろうか。
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