『読まれなかった小説』の普遍性
私は文学青年を描く映画が大好きだと改めて思ったのは、今年のベネチア国際映画祭で主演男優賞を取ったピエトロ・マルチェッロ監督の『マーティン・エデン』(来年日本公開)を見た時だ。30年以上前に味わった感覚が蘇ってきた。
11月29日公開のトルコの巨匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『読まれなかった小説』を試写で見た時も、ちょっと似た感覚を覚えた。どちらも、小説家になりたいが周囲から全く相手にされない地方に住む青年の話。
『読まれなかった小説』は、大学を卒業して故郷に帰ってくる青年シナンが主人公。実家では小学校教師の父が競馬に狂って家族に迷惑をかけている。シナンは教員試験を受けに行くが、うまくいかない。
彼は故郷を題材にした小説を書き終えているが、その出版のために町長に援助を頼んだり、町長が紹介した金持ちに会ったり、著名な作家に読んでくれと頼んだりする。結局、シナンは小説『野生の梨の木』を自費出版する。母親は泣いて喜ぶが、誰も読んでくれない。シナンの苦難は続く。
映画の大半はシナンが誰かと話をしている場面だ。話というより、議論ばかり。父、母、父方の祖母、母方の祖父母、高校の同級生の娘ハティジェ、ハティジェと付き合っていたルザ、町長、書店主、小説家のスレイマン、町長が紹介した採砂場経営者などなど。
それはほとんど物語の展開と関係がない無駄な会話のように見えて、時おり、人生の真実が飛び出す。とりわけ、父と母との会話は味わい深い。できあがったばかりの本を「すべてはあなたのおかげだ」と献辞を書いて母に渡す時の唐突な感動といったら。そして終盤に父との忘れがたい会話が出てくる。
時おり、夢と現実が混じる。父が小さい頃、顔じゅうにたくさんの蟻が這っていたイメージ、作家に議論を挑んだ後に橋の装飾を壊して警察に追われて逃げ込むトロイの木馬、父が周囲に馬鹿にされながらも水が出ると信じていた井戸を掘る主人公など。
20代半ばの田舎の文学青年とその父母や祖父母との関係というリアルで普遍的なテーマが、詩的な光景にそのままつながる。私は見ながら亡くなった自分の両親を思い浮かべた。私の父もずいぶん自分勝手な人だったが、私のことを彼なりに考えていたと今になって思う。母はまさに「すべてはあなたのおかげだ」
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