ジャン・ドゥーシェ氏逝く:続き
もうドゥーシェさんが亡くなって数日がたつが、時々いくつかの場面がふいに蘇る。1991年秋に山形国際ドキュメンタリー映画祭に審査委員長として来る前に、夏にパリで会った。映画祭カタログのために写真が必要だと伝えていたが、夕食の際には彼は持ってくるのを忘れていた。
翌日はパリから夜行列車でフィレンツェに発つと言うと、「ではリヨン駅に持ってくる」。当日、30分ほど前に着いて長い列車のホームを見るがどこにもいない。ようやく出発5分前にあの巨体が遠くから現れて、ゆっくりと歩いてくる。そして写真を渡しながら「すばらしいフィレンツェの街を十分に楽しんでください」と言った。彼にとってイタリアは、古い街を楽しむものだった。
彼は日本に来ても、散歩を好み、街や建物をじっくりと見渡した。96年秋のフィルムセンターの「ジャン・ルノワール、映画のすべて。」のシンポジウムで来日した時に鎌倉に行った。小津安二郎の墓のある北鎌倉の円覚寺などを散策したが、いつも「この建物の構造は」とか「山と建物の調和」はとか語っていた。
神楽坂に引っ越したばかりの私のマンションにも一度来た。ここに住み始めたと言うと、マンションをぐるりと見渡して、「パリのアパルトマンとは違う美学だが、ミニマルな美しさはある」と言った。そういえば、91年に初来日した時は、東京に来る前に1週間1人で京都で過ごした。「溝口の街を歩いて、全く飽きることはなかった」と言った。
彼の映画の読解は、その延長線上にあったのではないか。映画を空間構造として見渡し、その変容をダイナミックに見せた。「この空間に女が1人いる。明らかにある物足りなさや欠落が見える。奥から声がして、ドアが開く。すると男が入ってきて静的な空間は一挙に壊れる。左側の男は急に空間を支配する」。溝口の分析はこんな感じだった。
彼が最も評価するアルフレッド・ヒッチコック、フリッツ・ラング、ジャン・ルノワール、溝口健二の映画は、まさに空間の変容を人間のドラマとして見せたのではないか。そして彼はそのドラマの奥に政治や経済や社会の力関係を透視した。
彼は東大で開かれた小津安二郎のシンポで、「でも私は溝口の方が好きだ」と言った。彼は小津のどんどん切り替わる空間が「残酷だ」と言っていた。そういえば、1991年、山形の直前に東京国際映画祭のクロージングで彼を蓮實重彦氏に紹介したら、そのまま夕食になり、2人は「小津の残酷さ」で盛り上がっていたのを思い出した。今日はここまで。
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