『家族を想うこと』に思ったこと
昨日「通販生活」のブログで触れた、12月13日公開のケン・ローチ監督『家族を想うこと』について書く。久しぶりに「試写室で見ている自分が恥ずかしい」と思った。それほど描かれている現実の悲惨さが迫ってきて、いまこの場所に偉そうにふんぞり返って座っている自分に帰ってきた。
ケン・ローチ監督はイギリスの社会派監督だが、社会の貧困を描くことには定評がある。21世紀になってからは『エリックを探して』(2009)や『天使の分け前』(12)など軽めのドラマに移行しつつあった。ところが『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)で強烈な社会批判が蘇った。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、心臓病で働くことのできなくなった59歳の男と2人の子供を抱えて苦労するシングルマザーを描く。彼らにのしかかるのは役所の官僚主義だが、一方で彼らを助けるコミュニティもあった。
今回は現代の資本主義によって苦しむ一家を描く。映画は父親のリッキーの面接から始まる。フランチャイズの宅配ドライバーだが、建設業でクビになったリッキーは、思い切ってバンを買って新規まき直しを図る。そのために介護福祉士の妻のアビーは車を売り、バスで介護先に通うことに。
最初から、「これは危ないぞ」と感じる。いつリッキーに失敗が起きるかとひやひやしながら見ているが、前半はどうにか乗り切る。いつわがままな客ともめるか、事故にあうかと心配しながら。ある土曜日に娘のライザを仕事の車に載せて2人で配達し、夕食はテイクアウトのインド料理を家族一緒に食べ、妻にヘルパーの呼び出しがあると、みんなで車に乗って出かけるという楽しい日もある。
ところが、息子のセブが学校で問題を起こして両親が呼び出されるあたりから、雲行きがあやしくなる。リッキーは休みを取ろうとするが、それは罰金を意味した。息子の非行は悪化するうえ、リッキーは暴力事件にあう。
リッキーは社員ではなく、自分で車を用意するうえ、何の保証もない。働けば儲かるが、事故が起こっても本人の責任ですべてを賠償させられる。「ウーバー」などのシェア・エコノミーの考えだが、基本的にはこうした「みなしオーナー」は非正規雇用で一つ歯車が外れるとすべてが壊れる。
今回は彼らを支えるのは家族の絆しかない。それはあまりにも弱い。今回のケン・ローチは、まさに今、日本でも起こっている現象を描いた。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 『東京オリンピック』から『オリンピア』へ(2026.10.15)
- 『襲名』に考える(2026.10.13)
- 『ディスクロージャー・デイ』のおもしろさと不可解さ(2026.10.07)
- 『ナギダイアリー』の新境地(2026.10.01)
- 『ビルマの竪琴』から『花と兵隊』へ(2026.09.27)


コメント