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2019年11月28日 (木)

喪失の1年

ジャン・ドゥーシェさんのことを2回書いたけれど、だんだん年末が近づいて、今年は身近な人が何人も亡くなった年だったと気がついた。日々の日常に、ふと亡くなった人々の声や姿が蘇る。一番はもちろん1月に亡くなった母の声だ。

先日、東京国際映画祭で財布をなくした時に、最初に実は母のことを考えた。私はよく忘れ物をする子供だった。まだ小学校に入る前に近所のスーパー(ではなく、「よろずや」)に豆腐を買いに行って、買い物かごを振り回しているうちにそこに入れた100円札がいつの間にかなくなっていた。母は「お金は買い物かごにいれちゃでけん」と言った。

小学校3年生から近所の道場で剣道を習い始めた。5年生頃から、近くに親善試合に行ったり地区の剣道大会に出るようになり、日曜になると弁当を持って出かけた。すると毎回のように弁当箱をどこかに忘れてきた。母は「あんたは勉強はできるばってん、何でも忘れてくる」と言った。弁当箱だけでなく、傘やタオルなど、出かけると必ず何かは忘れてきた。

特に試合で勝つと、調子に乗って上機嫌になり何でも忘れた。もちろん小学生だから酒も飲まないが、とにかく気分がいいと周囲が見えなくなった。母からよく「あんまり調子に乗っちゃでけん」と言われた。

剣道を習わせようと決めたのは父だった。そのくせ、中学3年生になると誰に入れ知恵されたのか、「剣道は適当でよかけん、勉強して進学校に行かんといかん」と言い出した。勝手に塾を探してきて通わせた。そのおかげで私立の進学校に通り、父は我が意を得たりと大喜びだった。しかし母は全く騒がなかった。

普通ならば姉たちと同じく近くの県立高校に行くはずだった。わざわざ無理して遠くの進学校に通うのを疑問に思ったのかもしれない。ただ、父親は喜んでいるし私も嬉しかったので、反対はしなかった。半年くらいたって、私は勉強する時間がないと訴えて、高校の近くに下宿することにした。

高校へは1時間強で行けたのだから通えばよかったが、私は都会(といっても人口25万人ほどの地方都市)に住みたかった。父は大歓迎だったが、母はどう思っただろうか。下宿を探す時や引っ越す時に同行したのは父だったが、その後月に一度は車で衣類などを持ってきたのは母だった。これは高校の後半に長期入院した時も同じで、病院は自宅に近かったので母は着替えをもって毎日やってきた。

母が亡くなる前の5年ほど施設に入った時に、年に何度もお見舞いに行ったのは、この時の記憶があったからかもしれない。

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