『NO SMOKING』に考えたこと
細野晴臣を撮ったドキュメンタリー『NO SMOKING』を劇場で見た。ある映画会社に勤める友人が、今年のベスト3の1本と推したから。本当はさほど乗り気でなかった。監督は佐渡岳利というNHKの人だし。
その予感はある意味正しかった。見ながら思った。「なんだ、白金生まれで音楽好きの両親に育てられたボンボンか」「中学生の頃からギターを手にして大学時代からメジャーデビューし、そのまま音楽人生を送ったのか」「へえ、YMOは彼が中心になって作ったのか」
その優雅で楽しそうな人生を、半分「ひがみ」ながら見た。とりわけこの映画のための最近のインタビュー映像の余裕ぶりにどうも落ち着かない。白髪でいつも煙草を吸いながら、眠そうなとぼけた顔をしてよく笑う。
1979年にデビューしたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は、とにかくカッコよかった。「テクノ・ミュージック」と言われたシンセサイザーを使った音楽で、真っ赤な人民服を着た3人のイメージはよく覚えている。彼らの短髪を真似した「テクノカット」が流行し、ヒット曲「ライディーン」に合わせて竹の子族(若者はわかるまい)が躍った。
3人とも見た目もよかった。「教授」と呼ばれた知的な坂本龍一が一番人気だったが、ドラムの高橋幸宏はお洒落だったし、細野晴臣は早くも老けた感じを出していた。私の大学時代に大学院の博士課程にいた先輩は、髪形も服装も物腰も細野を真似ようとしていた。当時はバカじゃないかと思ったが、最近再会したら今の細野にそっくりだった。
YMOは大ヒットした割には曲は少ない。「ライディーン」の後は松田聖子や忌野清志郎の歌を作り、知名度を生かしたメジャーな仕事を片手間にやっているように思えた。この映画でも出てくるが、3人で漫才番組にレギュラーで出ていた。それから映画の『戦場のメリークリスマス』(1983)にデヴィッド・ボウイと共に坂本龍一が出て、映画音楽まで担当した。
その後は坂本龍一は「世界のサカモト」になったが、あとの2人は国内でボチボチやっていると思っていた。ところがこの映画を見ると、細野はずっと音楽を続けていたことがわかる。『銀河鉄道の夜』などの映画音楽をやり、「ワールド・ミュージック」や「アンビエント・ミュージック」の潮流に乗り続けた。
驚くのはロンドンやニューヨークやロスでの最近のコンサートで、細野晴臣を崇拝する欧米の若者が集まっていること。坂本龍一はともかく、細野晴臣が海外で知られているとは思わなかった。本人は相変わらず、気楽で楽しそうにギターを弾きながら歌っている。カッコいいが、あんなにうまくいく人はまずいない。また「ひがみ」が出た。
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