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2019年11月23日 (土)

ジャン・ドゥーシェ氏逝く

フランスの映画評論家、ジャン・ドゥーシェさんが亡くなったという連絡を受けたのは、昨日の16時頃。『週刊読書人』で彼の連続インタビューを連載中のパリ在住の久保宏樹さんからメッセージが来た。90歳だった。すぐ蓮實重彦さんに知らせた。

ジャン・ドゥーシェさんは日本ではさほど知られていないだろう。監督作品としては『パリ、ところどころ』の「サンジェルマン・デ・プレ」しか日本で公開されておらず、書籍は『パリ、シネマ』しか翻訳されていない。

フランスでもそのほかの監督作は知られてないし、数冊の著作もさほど話題になっていない。だが彼の死はフランスの新聞で大きく報道されたようだ。1950年代からゴダールやトリュフォーと共に『カイエ・デュ・シネマ』誌に書き、その後国立映画学校(IDHECからLa Femis)で教えた。そこからは、アルノー・デプレシャンやグザヴィエ・ボーヴォワなどの監督が輩出している。

それより何より、映画の見方を教える講演者としての役割が大きかった。月に一度シネマテーク・フランセーズで映画の後に講演をしていた時期もあったし、各地の映画館でいつも講演をしていた。2016年に半年パリにいた時は、シネマテーク・フランセーズ、ボローニャ復元映画祭、ロカルノ国際映画祭で特別講演があった。

ボローニャもロカルノもちょうど行っていたので参加したが、驚くのはどこにでもファンがいたこと。彼のヒッチコックやラングや溝口の分析は、何度聞いても惚れ惚れした。彼はその話す内容も、人生を楽しむ生き方も、個性的だが優しい風貌も、みんなを魅了した。

彼はトリュフォーの『大人はわかってくれない』にも『勝手にしやがれ』にもジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』にも小さな役で出ている。ほかにもたくさん出ているが、最近だとポール・バーホーベンの『エルELLE』にも出ていた。

私が最初に会ったのは1980年代後半だと思う。仲の良かったフランス人女性のMさんが、彼女に言い寄っていたウィリアム=カール・ゲラン氏を紹介し、ゲラン氏の自宅の夕食でジャン・ドゥーシェさんと出会った。なぜか気があって、それからフランスに行くたびにドゥーシェさんは私をおいしいレストランに連れて行ってくれた。この9月にも久保さんとバスチーユ広場の「ボーファンジェール」で夕食をした。

日本に来たのは、1991年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査委員長の時。それから96年のフィルムセンターのジャン・ルノワール全作品上映のシンポ、2003年の小津安二郎生誕100年シンポ、2005年の溝口健二没後50年シンポなど、5、6回は来日した。日本では私が昼食や夕食に連れ回した。

私にとっては映画の見方だけでなく、生き方そのものを教えてくれた「先生」だった。

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