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2019年11月14日 (木)

電車で股を広げる男たち:続き

このブログで友人からおもしろかった、と言われるのは、映画の話でも展覧会の話でもない。どうでもいい日常のことを書くと、友人からおもしろかったと言われる。一昨日書いた「電車で股を広げる男たち」には2人から反応があった。

1人は試写会で会ったベテラン映画評論家の女性で、「その通りよ。私はテレビの座談会などに出る男性が股を広げているのも気になる」とのこと。私はテレビは考えなかったが、そうかもしれない。

もう1人は今年の3月に卒業した教え子の女性で、「今朝のブログを読んで久しぶりに笑いました。笑うことが何であったかを思い出しました」とのこと。よほど会社勤めがキツイのかもしれない。あるいはあまり笑う人のいない、真面目な会社か。

似たような話題で、私が気になっているのは、「狭い場所を通る」問題。例えば私のマンションの郵便受けの受け取りは、1メートルほどの通路にある。この広さだと2人は十分に通るが、だれかがいると遠慮して待つ人が若い人に多い。まるで少しでも体が触れ合うのを避けるように、相手がいなくなるまでじっと待つ。

私の場合は誰かがいても、体を小さく斜めにして「失礼」など言いながら斜めに通る。それは郵便の受け取り通路に限らず、大学でも映画館でもスポーツクラブでも狭い通路でわざわざ待たない。私の世代はまだ、「待つ」と損するような気がするのかもしれない。今の若者はそもそも「待つ」ことが好きだ。タピオカミルクティーとか人気のラーメン屋とか。

ところが、ドアやエレベーターなどで女性を先に通す「レディ・ファースト」は若者もやらない。欧米ではこれをやらないと野蛮人扱いされるので、私はこちらはいつの間にか身についたが。

もう1つ、自分の後に誰かが来るときには、フランスでは男女を問わずドアを持って待つ。これは日本では老若男女問わず誰もやらない。大学でよく目の前でドアが閉まることが多い。知っている学生で自分の先生がすぐ後に来るとわかっていても、誰も待たない。

狭い空間で、礼儀と親切と身体感覚が微妙に絡まりあう。性差と年齢に文化の壁も加わって、私は毎日ぎこちなく歩いている。

 

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