『水と砂糖のように』を楽しむ
イタリアの撮影監督、カルロ・ディ・パルマをめぐるドキュメンタリー、『水と砂糖のように』を見た。彼の名前を意識したのは、実は2004年7月に亡くなった時だ。当時イタリア映画祭の作品を選んでいた私は、イタリアの地方都市で毎年夏に開かれる外国人映画バイヤー向けの上映会に参加していた。その年はたぶんコモ湖だった。
その上映会を主催していたイタリア映画海外普及協会(今はチネチッタに吸収された)の理事長が、ある朝、ホテルの朝食の時に「イタリアの偉大な撮影監督、カルロ・ディ・パルマが亡くなりました」と言った。その妻のアドリアーナ・キエーザさんがここにいるので、追悼の意を寄せてください」
アドリアーナ・キエーザはイタリア映画のセールス会社の社長として、日本で外国映画を配給する人なら誰でも知っているくらい有名だ。だから彼女がその場にいるのは当然だったが、まさか撮影監督の奥さんとは知らなかった。彼女は「わかっていたの」と言って去っていった。
カルロ・ディ・パルマの名前はその時はピンと来なかった。イタリアの撮影監督と言えば、ベルトルッチのヴィットリオ・ストラーロが有名だし、その前ならG・R・アルドの名前は記憶していた。すぐにネットを見ると、アントニオーニのカラー作品やウディ・アレンの映画がずらりと出てきて驚いた。
今回見たドキュメンタリーは、この撮影監督の妻だったアドリアーナがプロデューサーで、彼女が夫を知る人々を訪ねる形を取っている。だからアドリアーナはほぼいつも出ている。華やかな美人でお洒落で女王さまのような彼女が、まだまだ若々しいのにまず驚いた。
カルロ・ディ・パルマ本人のインタビュー映像もたっぷりだが、一緒に仕事をした監督はアントニオーニはもう亡くなったし、ベルトルッチは1本を撮ったのみ。もちろんベルトルッチも出てきたが、一番は12本を撮ったウディ・アレンだろう。『ハンナとその姉妹』(1986)から『ラジオ・デイズ』、『地球は女で回っている』(1997)まで。
アレンは、この撮影監督と昼ご飯も夜ご飯も食べるくらい仲が良かったようだ。「彼には構図を見極める抜群の才能があり、色彩感覚の閃きがあり、どうすればいいか直観的に知っていた。何をやっても美的に仕上げた。彼は光を彫刻し、その光は完全に監督のスタイルに融合し、鮮やかに俳優を映し出した」
多くの彼の映画に出たモニカ・ヴィッティは生きてはいるが、認知症なので出てこない。その代わりにある女性弁護士が「モニカとカルロは恋愛関係だったし、いい思い出だよ」と言った時は驚いた。モニカ・ヴィッティはアントニオーニと同棲していたはずだが、後半はこの撮影監督とつきあっていたようだ。続きは後日。
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